雪の松島  宮城県松島町               

   
        雪の松島
         新雪に包まれた松島・五大堂から見る冬至の朝陽


・時期  12〜3月

・交通案内
 今回はJR仙台駅から仙石線で本塩釜駅下車、マリンゲート塩釜から丸文松島汽船の遊覧船で。陸路なら仙石線松島海岸駅で下車

・電話  松島観光協会(022・354・2618)、塩竃市役所(022・364・1124)

                            =2011年12月21、22日取材=
        
 
  3月11日の東日本大震災を境に日本のあり方が一変した2011年。その年末、日本三景の松島を訪ねた。翌朝未明の雪で新雪が降り積もった松島。津波被害が比較的少なかった松島町、塩釜市では観光客の足も戻ってきたが、損壊の傷跡は今も残る。海岸沿いに東松島市、石巻市と北上すると、そこは津波の爪痕が生々しい。それでも、どこにあっても日常の暮らしの営みの中から将来を取り戻そうとする人々がいた。

    被災地の観光復興引っ張る日本三景

 12月21日、朝一番の東海道新幹線と東北新幹線を乗り継ぎ仙台に10時半ごろ到着。仙石(せんせき)線に乗り換えて本塩釜に下りた。東へ15分ほど歩いたマリンゲート塩釜から松島巡りの遊覧船に乗る。1689年に芭蕉が「奥の細道」でたどった海上の道。特徴にちなんで一つ一つ名前がつけられた小島の紹介を聞きながら進む。震災被害を耐え抜いたカキ筏も見られる。

 50分の船旅で松島観光桟橋に着いた。松島に来たのは2回目。震災から約20日後の3月29日、兵庫県社会福祉協議会が出した災害ボランティアバスに乗せてもらって最初に下りたのが松島町で、ヨットハーバーの泥かきに入った。この時に町の人が「松島の島々が津波を弱めてくれた。この町から建て直しを急いで、もっと被害の大きかった地域を支援していきたい」と力強く話したのを聞き、一段落したらもう一度訪れたいと考えていた。

 観光客の受け入れ態勢はほぼ回復したようで、メインの瑞巌寺(ずいがんじ)は山門を入ったところで待機しているガイドが案内してくれる。有料ではあるが、細かいところや震災後の状況もよくつかんでいるので効果的に回れる。本堂は震災前から平成の大修理に入っていたので見られないが、国宝の庫裏、大書院に加え、伊達政宗の正室の御霊屋が特別公開されていたのは良かった。瑞巌寺も宝物の落下や壁のひび割れ、正宗当時からの杉木立ちが塩害被害を受けたが、全半壊した建物はなかった。庫裏の内部は熊野から運んだ太い材木で組み立てられており、耐震性は強かったのだろう。

 ◇黄金週間前に復活、「海のパンダ」泳ぐ水族館

松島水族館のイロワケイルカ 松島湾を見渡す観瀾亭(かんらんてい)と松島博物館に続いて松島マリンピア水族館を訪ねた。3月末に松島町に来た時、荷物を置かせてもらい、正面にいるペンギン水槽を前に職員から「津波がぎりぎりのところまで迫っていたが、間一髪で水槽の高さを越えずにペンギンが助かりました」と聞き、「黄金週間の前には再開したい」という強い意気込みに驚いたこおとを思い起こした。

 この日も、同園ならではのアシカショーで訓練が行き届いた芸が披露され、白と黒の模様から「海のパンダ」の名で呼ばれるイロワケイルカが泳ぎ回っていた。大規模ではないが、北の海から熱帯の海まで種も豊かにそろえている。震災では大きな損壊はなかったものの、浸水や電気設備が全損したためマンボウやビーバーが死んだ。それでも、海遊館など全国の水族館の支援も受け約束どおり4月23日に再開、今回見て、よくここまで戻したものと感じ入った。

 松島のグルメといえばカキ。震災で心配され筏の全滅は免れたが、出荷は1割程度という。そのためか、お手軽で人気のカキ丼も午後2時半ごろに注文すると「品切れです」と言われがっかり。それでも、パン屋で売っていた「カキ入りカレーパン」は味がよくマッチしていたし、夜入った店ではオリジナル作品をはじめ多彩なカキ料理メニューを用意していて、松島ならではの工夫をこらしている様子はうかがえた。

 ◇暖帯性の常緑樹に雪降り積もる

 翌22日は冬至。午前6時、宿で目を覚ますと、外はまだ暗いが、深夜から降った雪が積もっていた。昨夕、観瀾亭の職員に「松島は夕陽は見られないけど、朝陽は素晴らしいですよ。見る場所は五大堂からが一番です」と教えてもらったことを思い出し、雪道を急ぎ短い橋を渡って五大堂に急いだ。

 五大堂は海岸から張り出して建てられた瑞巌寺の堂で、伊達政宗が再建した三間宝形造の建物。堂の屋根にも海に面した松の枝葉にも雪がかぶっている。6時半ごろから東側の空が赤く染まり始め、7時前から島々の間から朝陽が昇ってきた。

 8時半になるのを待って有料橋(200円)を通って福浦島に渡った。思ったより広く、雪をかぶった島々を眺めながら周遊路をゆっくり巡ることができる。暖帯性の常緑樹が多く、ここが北限とされるユズリハや和歌山県でよく見るタブノキが自生しているのには驚いた。雪をかぶったツバキの花が見られたのは嬉しい。

 一方、水族館南の雄島は芭蕉が松島に下船したところで、僧の修行場としての遺跡が多く残り興味深い場所だが、津波で渡月橋が流され渡れなかった。東松島市や石巻市の状況が激しすぎて、今は被害が目立たないような松島町でさえ、復旧はまだ終わっていない。私が泊まった旅館でも、新館は壁にヒビが入った程度だったが、先代から引き継いだ旧館は外観は保っているものの使用に耐えず、3月に取り壊すそうだ。

 ◇日常の暮らしの中から一歩一歩

 五大堂で犬を連れて朝の散歩に来ていた男性は、多くの人が犠牲になった東松島市に住む定年退職者。家族は無事だったが、同市内や石巻市の知人の救援に駆け回ったという。「大変だったけど、みんな明るくやってますよ」。松島町に続いて3月30日に東松島市に入った時、まだ津波の泥に埋まっている自宅で「なんとしても仕事を再開したい」と話していた年配の女性を思い出した。

 松島町で営業を再開した料理店の女性店員の実家は岩手県三陸地方。明治の三陸大津波の教訓から家を高台に移していたため津波被害は免れたが、弟は勤務先の地元の営業所が流されたため職を失い、がれき撤去で収入を得ているそうだ。「子供二人もいるし、両親と住むため地元に残っているので、ここでやれることをやっていくしかないと言っています」。

 震災から9月余り。地域や個人によって復旧の進み具合に濃淡が出てきているのが現実だ。それでも日本三景の名にふさわしい松島に人が戻っていくことは、広い範囲の被災地への力となっていくことだろう。
 
                             (文・写真 小泉 清)

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