★ 軍需工場空襲 従業員、動員学徒の慰霊祭続ける 大阪府豊中市 ![]() |
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![]() ◇豊中市南部の三国金属工業、後輩も参列 ![]() 同社は戦後スチール缶製造に業種転換。1957年に創業者の辻喜一氏が学徒を含む戦災者慰霊碑=写真=を建立し、途切れることなく慰霊祭を続けてきた。遺影碑は4年前に見学・参拝したことがあるが、慰霊祭は初めて。数年前から出ている8期先輩の越智克司さんに声をかけてもらい、17期上の大先輩、同窓会役員らOB5人とご一緒した。 ![]() 終わりのあいさつで、5年前に就任した板垣毅社長は「戦後80年を区切りとせず、これからも続けていきますので来年もご参加ください」と語った。 ◇高女卒業間もなく…姉の火消えるまで見守る ![]() 当時府立豊中高女(現・桜塚高)2年だった律子さんが会社に駆けつけ探し回ったが、夜になっても見つからなかった。翌々日の9日朝になって消防団から連絡があり、並べられた40体以上の遺体から満子さんを見つけた。姉がミシンで縫うのを見ていた青と白のギンガムの服が決め手となった。 ![]() 「周りは焼け野原で、工場から荼毘の煙が三本立ち上るのが見えました。黒い煙が赤くなっていきます。真中が姉の火。『私が見ているからね。お姉ちゃんありがとう』と、庭石に腰かけ、白い煙に変わり消えるまでずっと見つめていました」と「生涯で一番悲しかった」記憶を話された。 ◇ 取り巻く環境は変わっても、戦禍のあった同じ場所でこうしたつどいが、儀礼にのっとってずっと続けられていることは有り難い。参列者の人々との出逢いも通して、戦禍の実態を知識としてだけでなく、この場にいた人々の思いとして少しでも感じ取れた気がした。 =2025年6月6日取材 (文・写真 小泉 清) ★ 友に 後輩に 地域に 憶念の思いずっと =2025年6月4、6日取材 ⇒トップページへ |