圓光寺で偲ぶ被爆死南方留学生 京都市左京区 | ru | |||||||||
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洛北・一乗寺の臨済禅の名刹・圓光寺=写真右=に、周囲と異なるイスラム様式の墓がある。眠っているのは、太平洋戦争中、日本占領下のマラヤ(現・マレーシア)から南方特別留学生として来日したサイド・オマールさん。広島文理科大(現・広島大)にいた1945年8月6日に被爆、負傷者の支援に奔走したが、終戦後帰国のため東京に向かう途中原爆症が悪化して9月3日に亡くなった。 学校、近隣住民、後輩が語り継ぐ近隣住民らが昨年結成した「圓光寺オマールさんの会」から「コロナの影響で昨年のような法要や集い、展示は中止しますが、個人的な参拝はどうぞ」とのお知らせをもらっていたので、3日昼過ぎに参拝した。大坪慶寛住職の読経は終わっていたが、簡素ながら整った祭壇が設けられており、焼香、供花した。案内していただいた会員から、今年はマレーシア人で広島市立大准教授のヌルハイザル・アザム・アリフ=写真下=さんが来ていて、読経の後で祈りを捧げ、イスラムの流儀の供養も行ったと聞いた。 ◇ユーチューブを公開、マレーシアでも伝える 寺坊で開かれていた同会の話し合いに寄せてもらい、アザムさんに尋ねた。1991年に日本特別留学生に選ばれ富山大に留学、2017年から広島市立大で国際ビジネスの研究・教育に当たっています。オマールさんの友人ニック・ユソウフさんが被爆死して広島の寺に埋葬されていることを知って「留学生の先輩でこういう人たちがいたのか」と驚いた。8月からYouTube”Malaysian Hibakusya”を公開している。 マレーシアから南方特別留学生として広島に来ていた3人が被爆、うちオマール、ユセフさんが日本で被爆死、アブドゥル・ラザクさんは帰国後日本語教育で活躍したそうだ。一方、マレーシアでも、被爆死した留学生のことはあまり知られておらず、お母さんも見て涙を流したという。「違った宗教の墓地に葬られていることに初めは驚きましたが、心を込めてずっと弔ってもらったことをありがたく思っています。ユーチューブに字幕をつけるなど、歴史の事実や日本人との心のつながりを広く伝えていきたい」と話していた。 会合では、「圓光寺オマールさんの会」会長の早川幸生さんが、オマールさんを語り継ぐ活動について説明した=写真右。早川さんは同寺に近い修学院小学校で教えていた時、児童らとオマールさんの足跡を学んでから広島へ修学旅行に行き、平和学習を深めていった。会をつくる時も、教え子や父母が力を合わせた。 散会の後、圓光寺の境内を回った。枯山水の「奔龍庭」から中門を抜けると池のほとりに苔とカエデの木が広がる「「十牛の庭」。今はムクゲの花があしらわれた水琴窟からかすかに水音が響く。墓地を上がって、開基の徳川家康をまつる東照宮からは京都の市街地が一望できる。 家康が足利学校学頭を招いて設けられた圓光寺学校が発祥で、日本最古の木版活字(国重文)が伝わる寺だ。私も含め洛北の寺巡りにこの寺に寄って、オマールさんの墓に目を止め、南方特別留学生の被爆という史実を知る人も多いようで、これも京ならではの縁かもしれない。 (文・写真 小泉 清) ★戦後75年 京でたどるオマールさんの足跡 ⇒トップページへ |