古座川の落鮎追って熟達の小鷹網漁                                    
  10月の古座川は落鮎の季節を迎え、川沿いの岸壁を自生のキイジョウロウホオトトギスの花が駆け上がっている。巨大な一枚岩を見上げる洞尾(うつお)の集落では、「川釣り名人」の田上實(たのうえ・みのる)さん(86)が、古座川に伝わる小鷹網漁で産卵のため海に下るアユを獲っている。

 10日は古座駅前で電動アシスト自転車を借りて古座街道を上流に向けて走った。奇勝の牡丹岩 、9月にリバーダイビングで潜った直見(ぬくみ)、一雨(いちぶり)と集落、集落を過ぎ一時間少し、一枚岩を仰ぎ見て洞尾(うつお)の集落に入った。3年ぶりに田上さん方を訪ね、アユをはじめ古座川に棲む魚の今昔をうかがった。

 海で卵からかえり、プランクトンを食べて育った幼魚が古座川を遡上を始めるのが2月末から3月はじめ。七川ダムの手前まで遡上し、岩についたコケを食べる。縄張りをつくる習性から6月から9月末までの釣りは主に友釣りとなる。

   ◇ダムで土砂積もり水量減少、遡上アユ少なく小さく

  以前は古座川のアユはすべて海と川を上り下りしていた。しかし、昔に比べるとまず海で孵化して遡上するアユがぐんと減った。「山から川を伝って流れ込む腐葉土があってプランクトンが増えて稚魚が成長するが、人工造林で腐葉土が減ったので稚魚があまり成長できないのでは…」と田上さんはみている。2014、15年は遡上したアユが比較的多かったが、「2011年秋の水害など災害が続き土砂の流入が多いことが要因では」という。

 こうしたことから、古座川本流の内水面を受け持つ古座川漁協でも琵琶湖から持ってきたアユを放流している。昔は古座川流域最奥の集落の松根までアユが遡上していたが、1956年に七川ダムができてからは越えられないので、ダムより上流域はすべて放流アユだ。

 遡上してきたアユにとっても「古座川は住みよい川ではなくなってしまいました。昔はどこにでもいたアユが瀬にしかいません」と田上さんは語る。七川ダムができて泥や砂がたまり、水量も少なくなって押し流されにくくなった。「昔は山から引いた水だけでなく川の水をすくって飲むほどきれいでした。流れがずっと早く水量も多く、このあたりでも川を渡れませんでした」。流れが緩やかになると酸素の入りが悪くなり、アユが食べる石に付いたコケや藻類の成育も悪くなる。数だけでなく個体としても小さくなった。

 群れで下る落ちアユは夏のアユ釣りとは違う網漁の対象。田上さんが今も行っているのは、小鷹網漁だ。アユが多く下って来るのは雨が上がった日の朝か夕方。訪れたのは好天が続いた日の昼前といい条件ではなかったが、「それでは漁場に行きましょう」連れて行ってもらった。漁のスタイルに着替えるとずっと若返って見える。

   ◇アユの警戒心利用、笹立てて群れ戻す

 漁場は、洞尾橋から一枚岩に向かって300mほど下った「犬鳴の瀬」。50〜60mの幅の川を横切って笹が50cm間隔で100本以上立てられている。これが笹立てだ。「アユの群れを捕えやすいように、流れが速すぎない深すぎない場所に立てます。笹はあんまり太くないもの、近くでこれだけの笹は用意できないので、漁を一緒にやっている仲間に持ってきてもらってます」。

 なぜ笹立てをするかといえば、警戒心の強いアユの習性を考えたもの。下る途中、前に障害物があると警戒して戻り、その間を通り抜けることはない。田上さんによると一度戻ってまた進み、笹立てを見てまた戻る。ただ三回目に進むときは、笹立てがあっても引き返さず、間を通り過ぎる。そのため、アユが慣れて通り抜ける前に捕まえるタイミングが求められるのだ。

 瀬まで下りると田上さんは小鷹網という投げ網を広げた。今はナイロン製で、粗い目と細かい目の網が重なっていて、粗い目を通って進んだアユが細かい目で行き詰まって補足される仕掛けになっている。下の端にはおもりが連なっていて、網が川底までカバーするようになっている。

   ◇小鷹が舞う美しい投げ方で群れ逃さず

 田上さんは川の中に入って行って合図をして、網を空中に放った。網は空中を一瞬舞って着水した。網を引き揚げる田上さん。今回は気象条件から投げ方を見せてもらうくらいのつもりだったが、網を広げると一尾ながらアユがかかっていた。

  この小鷹網は誰でも投げられるというものではない。まず資源保護のため組合員のうち鑑札を受けた人に限られる。投げ方には熟練の技がいり、「力が入りすぎると、網と川底の間にすきまがができてアユがその間から逃げてしまう」そうだ。小鷹網の名は空中で広がる網が鷹が舞う姿のように見えることから名づけられたもの。「きれいな形になげれば、それだけアユを群れごと囲むことができるんです」。

 網を投げるには力がいることから、田上さんは20歳過ぎから父や先輩を見習って続けてきた。「去年は体調を崩して小鷹漁ができなかったので、うまく投げられない」と謙遜するが、高齢化が進む古座川でも数少なくなってきた小鷹網の使い手だ。一度に30匹くらいかかることもあり、1日で10回は網を投げる。

 投げる前にアユの群れの見つけ方も大切。下り鮎は長さ20mほどの列をつくることもあり、川面から飛び上がることもある。群れの動きがよく見えるように笹を立てた場所の近くには白い石が並べられている。笹立ての仕方、漁を行う時の選択から始まって小鷹漁には総合力が要求される。

 落鮎を捕える方法はいろいろあり、古座川では火振り漁がよく行われてきた。舟に乗って火をつけた棒や布を振ってアユを網に追い込む。田上さんも以前は火振り漁を行っていたが、舟が必要で網も大がかりなものがいるので今はやっておらず舟も手放した。月ヶ瀬など下の集落の10人ほどは今も行っている。洞尾の笹立ての場所に落鮎が多く集まるので、ここまで車で舟を運んで火振り漁をする人もいる。

   ◇漁獲減っても「漁は人生の楽しみ」

  古座川で人とかかわりが深いのはアユだけではない。やはり川と海を行き来するウナギの漁はよく行われていた。小学生の時、学校から帰ってきた田上少年はかばんを放り投げ、川へ下りてハゼの仲間のヨシノボリを探すと、一か所で30尾くらいとれた。ハゼ類を食べることはなく、これを餌として竹で編んだ筒の「モドリ」に入れ、朝見に行くとカワウナギが捕れていた。

 このウナギもダムの影響を受けた。ダムで広がる泥や砂はウナギの潜む岩のすきまを埋めてしまうとともに、餌になるハゼも生息や産卵場所が奪われたことで減少した。ウナギ漁も餌のハゼを探すのに時間がかかるようになり、田上さんも「餌探しが難儀になってからはウナギ漁にあまり行かなくなりました」。

 一方、子供のころおやつにしていたテナガエビやモクズガニは泥の中でもよく棲むので、今でも多いという。谷川でミミズなどを食べ「山の掃除屋」と言われるモズクガニは一匹100円で業者が買うなど人気もあった。最近も県外から大量に捕りに来る業者があり、資源を守るために地元で漁業権をとり、一部放流もしている。

  古座川の流れの変化とともに漁獲は減り、生計を支える量は得られなくなってきたとはいえ、漁はずっと人生の楽しみだった。20歳代で筏を下りた田上さんは農業共済組合勤務や山仕事で暮らしてきたが、その間も漁は行ってきた。「特に小鷹網漁はやっていて面白いし、そうたいそうなものではないので、これからも続けます」と語った。秋が深まると、古座川の空にアユを狙う小鷹が舞い続けるだろう。

 =2015年10月10日取材 (文・写真  小泉 清)

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