★ 気持ち一つに 震災の翌年から途切れず | ||||||
追儺式から8日後の2月11日、奉賛会会長の西本隆一さん(68)を訪ねた。鬼役を16回務め、2年前に奉賛会長になった西本さんは長田神社門前の果実店主。まずうかがったのは、終戦後の4年(1946〜49)と阪神大震災の年(1995)を除き、追儺式が途切れずに続けられてきたことだ。 阪神大震災で長田神社は大鳥居4基が倒壊、社殿が半壊し、被災者150人の避難所となった。門前の商店街・市場もほとんどが全・半壊した。こういう状況では震災から2週間後の追儺式が取りやめになったのはやむをえないが、「翌年も店の再建が大変な中でよく再開できましたね」というのが率直な質問だった。 ◇固い組織の財政基盤で困難乗り切る 「節分には追儺式が当たり前だったので、翌年は『まだ大変な時やからできない』という話は出ませんでした。それと追儺式の鬼はもともと厄を払う鬼。こんな時こそ追儺式で震災の厄を払ってほしいという声が地元の人たちから多く出ました」と西本さん。こうした願いに加えて、奉賛会というしっかりした組織があったから、困難な時期も乗り越えられたという。戦後、5年ぶりに復活する際に追儺式を担う奉賛会を結成、地元の氏子を中心に幅広く寄金を集めていたので、資金面での障害はなかった。「地元がよくまとまっていたことが追儺式を続けられた要因でしょうが、追儺式を行うことで、困難な時期に気持ちが一つになりました」と振り返る。 ◇神事の継続性支える役割分担 2日、3日を通して見て、追儺式が鬼役だけでなく多くの役で進められていることがわかったが、役割分担がどう展開していくかもたずねた。追儺式の全体的な運営、特に財政面は奉賛会が担うが、2日、3日の行事の遂行を主に担うのは鬼役を3年以上務めた人に資格がある「かんあけ会」だ。 その中でも行事に精通した人が指導役となり、鬼役の指導に当たる。世話役は法螺貝や太鼓の囃子方や鬼の先導、松明の取り換えなどを行う。追儺式が確実に続くように、囃子方は法螺貝と太鼓のどちらもできるように練習している。 舞台に欠かせない太刀役は、鬼役と少し流れが違う。幼稚園児、小学生の男児から選ばれる太刀役は、大きくなると鬼役になるかと思っていたが、その例は少ないとのことだ。太刀役の指導・監督を行い、舞台で介添えをする肝煎は太刀役経験者から選ばれる。鬼役や太刀役にはなっていないが神事に奉仕したい人は、舞台に上がる前の鬼に肩を貸して支える「肩入れ」など舞台下での補助役を務める。こうした役割分担も神事を続けていくうえで重要な要素なのだろう。 ◇「基本は変えず、時代に合わせて進化」 追儺式の進め方は、禊の場所が長田区東尻池の浜から須磨海岸に移るなど、時代時代によって変わってきた。西本さんは「基本は変えず、時代に合わせ進化させていきたい」と新しい取り組みを探っている。かんあけ会会長としては、鬼役の選任が重い責任のある役目だ。かつての「旧長田村に本人か親かが30年以上住む長男」という条件は取り払っているが、冷たい水で水を禊をし、長時間踊る鬼役は誰でもできるものではない。一度鬼役を務めた人は続けてやりたいという希望が強く、40代になっても体力があり、今のところ担い手不足という多くの伝統芸能が抱える問題はない。一方で、「将来を見据えると新陳代謝は欠かせない」と新しい鬼役を入れるのも必要だ。今では、地元につながりがあれば他区の居住者でも、補助役などの経験から適性があると判断した人を鬼役に選んでいる。 また、奉賛会の活動、特に財政基盤を固めていく上では地元の理解と協力が不可欠。今回、長田神社に練り込む出発地点の鬼宿を商店街わきの事務所にしたのも、練り込みをはじめ追儺式の魅力を地元からもっと知ってほしいという願いからだ。西本さんは周辺の小学校4校の3年生の地域学習で出前授業している。「近所でも追儺式を知らず、行ったことがないという親子も多いので、小学生の間に一度は伝えたい」。 ユニークな節分行事として追儺式の知名度が広がってきて「もっと深く知りたい」という声が強まってきた。奉賛会では、昨年から節分の舞台だけでなく、前日の練習も積極的に公開することにした。「伝統にそぐわない」という意見もあったが、西本さんが幕の中で多くの人が練習を見ている戦前の写真を見つけ、「練習から見せる方が追儺式の伝統」と理解を得た。練習といっても指導役、世話役は黒の紋付羽織に白の襟巻の正装で臨む公式行事の場だ。「人から神の使いの鬼になっていく場を見ることで、感じてもらえるものがあれば…」と西本さんは話している。 追儺式は1970年に兵庫県の無形民俗文化財に指定されているが、神事とともに古い形を伝える民俗芸能としての評価は高く、国指定への昇格も視野に入ってきた。今秋には兵庫県立芸術文化センターでの公演がリクエストされており、「芸能としてのスキルも向上させていきたい」と将来を見据えている。 (文・写真 小泉 清) →前のページへ |