今年になって京都に行くことが重なり、阪急京都線をよく利用した。十三から二駅の崇禅寺(そうぜんじ)を過ぎると右手に桜並木が続いているのに気づく。ここで毎春開かれるのが大阪の街中の花見「柴島(くにじま)浄水場 桜並木通り抜け」だ。橋下徹・大阪市長が府市統合の一環として、廃止方針を打ち出している柴島浄水場だが、桜は「年々歳々花同じかりき」で今年も花を開き、花見客でにぎわっていた
歳々年々人同じからずも 浪花に春咲きそろう
満開を迎えた4月9日、各駅停車だけが停まる崇禅寺駅を降りると、そのすぐ北側の柴島高校前から桜並木が続く。駅前には屋台数店が出て花見定番のイカ焼きや焼きそばを売っている。月曜だが午後3時を回っているので、学校帰りの高校生や家族連れも多く繰り出してにぎやかだ。近くの病院や施設から車椅子で訪れるお年寄りも多い。
屋台村を過ぎると駅の東側に柴島浄水場の門がある。ここから淡路駅の方に向かって構内の通路460mの両側に200本近い桜が並んでおり、4月1日から15日前後の2週間は開門して通り抜けとなっている。1988〜89年にかけて植樹されたソメイヨシノ164本が中心で、それ以前の幹が太い老木も健在だ。ほかに白っぽいオオシマザクラやヤマザクラも目に付くが、造幣局の通り抜けとは違って、そう変わった種が見られるものではない。 しかし、通路沿いにはサクラに先行してユキヤナギの白い花や唐子ツバキの深紅の花が咲いていて、今年は遅かった浪花の春がぱっと咲きそろったような感じだ。
◇駅から0分、花の向こうに阪急マルーン
周囲の並木と合わせ、新大阪に近く住宅や商店、事業所が立ち並んだ街中で、ひときわ華やぎのラインとなっている。何せ駅から0分なので1日から15日まで何度か訪ねると、咲き始めから散り初め、花吹雪まで花のうつろいを味わうことができる。花の向こうを走る阪急電車の長年変わらないマルーン色の車体ともよく似合う。
通り抜けの名のとおり、そのまま東へ淡路駅に抜けられるが、9日は崇禅寺側に戻った。門の手前には1945年6月日の米軍機の空襲の機銃掃射で、壁面につけられた無数の弾痕の跡が残されている。説明板に「空襲に倒れ、傷つき、死んでいった物言わぬ多くの人々への生き証人」と記されているように、戦争も記憶が薄れていく中で、こうした痕跡が人目につく形で残されていくのは貴重だ。
◇もったいない水道記念館の「一時休館」
崇禅寺駅のすぐ南側は柴島高校となっているが、その西側には浄水場の施設が続いている。歴史といえば、この柴島浄水場自体が立派な歴史的遺産だ。1914年(大正13年)に当時東洋一の浄水場として建設されて以来、大阪市の発展と合わせて拡充されてきた。淀川から取水し、近年はオゾンや粒状活性炭でかび臭の原因となる有機物質を分解・除去するなどの高度浄水処理を行ってきた。
浄水場の南西端にある水道記念館まで桜を見ながら浄水場沿いの道を歩いた。記念館は1914年から1987年まで使われた旧送水ポンプ場を活用し、「水道100周年」を記念して1995年に開館。水道の歴史のほか、淡水魚の展示など琵琶湖・淀川の自然も紹介していたので、花見に合わせて見学できればと思っていたが、なんと4月1日から「一時休館」という。
宗兵蔵設計のネオ・ルネサンス風のレンガ建築というので、外観だけでも近くから見たいと思っていったのだが、入館はおろか門もがっちり閉められ、高い柵が巡らされている。せっかくの大正の名建築も、花盛りの桜の古木も柵越しでしか見られないのでは興ざめだ。
「一時休館」は大阪市の事業見直しにより「当分の間」とのことだが、現体制が続けば休館というより廃止や大幅縮小となるおそれも強い。建物は思っていた以上に大きく、維持・管理費がかさむのかもしれないが、それなりの教育的・文化的な効果はあっただろうに、この施設が生かされないのはもったいない話だ。それにしても、桜の開花も待たずに新年度できっちり休館にするとは「これこそお役所仕事やないか」と思ってしまった。
◇歴史刻む地、細川ガラシャ夫人が眠る崇禅寺も
崇禅寺駅に戻り、踏切を渡っての北東側に5分ほど歩くと、駅名の元になった崇禅寺がある。一般にはあまり知られていないが、寺には室町幕府の六代将軍足利義持の首塚と、関が原の戦で人質にしようとした石田三成の命を拒んで死んだ細川ガラシャ夫人の墓がある。どういう縁かと思ったが、将軍として力を失っていた義教が赤松満祐に殺された嘉吉の変で、義教の首がこの寺に葬られたことから、この地を支配していた管領の細川持賢が義教と細川氏の菩提寺としたという。時代を通じて、西国と京を結ぶ重要な地だったのだろう。
記念館というより、柴島浄水場自体が府市水道の統合に伴う廃止の標的となっている。50ヘクタールの広さがあるので、新大阪周辺の街づくりや多額の売却収入見通しをうたっているが、廃止となると大阪広域水道企業団からの融通が必要で、連絡管建設のコストがかかる施策が市民の利益になるのかなど疑点も多い。浄水場の緑地や文化・教育的機能をさらに活用し、地元の他の歴史的遺産も生かすことが、うるおいのある街づくりになるとも思えるのだが・・・。
一時の強い風に身を任せるのでなく、大阪の豊かな土壌に根を張って花を咲かせ続けてほしいと願いながら、もう一度桜並木を通り抜けた。 (文・写真 小泉
清)
大大阪の命支える浄水場を見る 2012.12.17
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