台風被害にめげず社叢に囃子が響く                                  
 晴天に恵まれた2018年10月7日、信太九町だんじり祭本宮を7年ぶりに見に行った。9月4日に近畿地方を襲った台風21 号で街が大きな被害を受けて間もない時期で、一時は開催が危ぶまれたが、今秋も祭の主役の神輿と各町のだんじりが聖神社に宮入りした。

 
前回にならって聖神社に先回りし、坂を上がってくるだんじりを迎えた。ただ、なんとなく勝手が違う。7年前は最後の 急坂を駆け上がってきたのだが、今回は坂をゆっくり上がる。上がりきったところで呼吸を整えて、終結場所の本殿前までの直 線にラストスパートをかけるのだ。各町の役員の人に聞くと「少子化で若者の数が減っているので、坂道を駆け上がる力が 出せない」という見方もあったが、「今はけが人出さないよう安全確保が第一。信太は他と違って3日間だんじり曳行があり、特に明日の後宮は 長くだんじりを曳くので、メリハリをつけています」との説明に納得した。

 神輿の当番町=今年は富秋町=を除く八町のだんじりがそろい、太鼓と笛で囃子を奏でる様子は変わらないが、周りの風景が以前と違う。7年前は背後にこんもり繁った社叢が見えたのだが、今秋は樹木はあるものの随分スカスカに見える=写真左。ここに限らずシリブカガシなど信太の森の植生を留め る貴重な林が無残に倒れている。「台風で聖神社の木が、かつてないほど多く折れたり倒れたりしたんですよ」と近所の人。「それでもだんじりを出す町の若い衆がすぐに駆けつけ、倒木や折れた枝を片づけてくれました」。

 神事の後、神輿に続いて尾井町の飛び地・山ノ谷に向かった。神輿が門前で出迎えを受ける曹洞宗の古刹・蔭涼寺のキン モクセイとギンモクイセイの古木が台風で倒れたりしなかったか心配だったが、今年も祭を祝うように開花して芳香を放っ ていた。神輿の担ぎ手への接待を終えた自治会長さんに尋ねると「モクセイは風に強かったですが、門前の桜の枝が随分落ちました。みんなが出て片づけをして今日の祭りに備えました」と話していた。

 鶴山台団地の中の御旅所に向かう神輿を追うように、8基のだんじりが団地のメインストリートを通る。この幼稚園前の 曲がり角でのやり回しが、きょう一番の見せ場のようだ。正午ごろにだんじりが次々御旅所に到着する。ここで曳き手は食べて飲んでゆ っくり休憩。各町の人々も弁当を広げて楽しむ。

 午後2時に御旅所を出発しただんじりは街に下りて行く。「バクダン坂」と呼ばれるけっこう急な坂だ。だんじりの構造が変わったので、昔のように前部を持ち上げて下るわけにはいかないが、後ろから綱をしっかり引いてブレーキを かける技は受け継がれている=写真右。下りきったところに曲がり角があり、ここでゆっくりとやり回し。平地を疾走しながら行うやり回しの派手さ はないが、高度な技能とまとまりが要求されているポイントだ。坂を下りたところで、町によっては坂を下りながら 餅やお菓子、タオルなど各町ごとに見物人に投げてくれる。観光客はわずかでほとんどが町内の人なので、距離が小さいのだろう。

 信太九町だんじり祭は、ずっとにぎやかに続いてきたわけではない。尾井町の場合、昭和30年代の5年間ほど負担の重さなどからだんじりを手放していた時期があった。しかし、「他町がだんじりを曳いているのに、自分の町がそれを見ているだけなのはつまらない」とまただんじりを購入して曳行を再開した。平成13年には、若者の要望を受けて上だんじりから下だんじりに買い替えた。だんじりの型の転換や社会環境が変わっていく中で曳行のしかたも変わってきた。しかし、「神輿が主役でだんじりがそれに続く」という祭の根幹の形は揺るがせない。坂を下りて町内を回っただんじりが夕方収蔵庫に収まってからも、富秋町の担ぎ手は神輿を担いで駆け回っていた。

 御旅所から市街地を見下ろすと、屋根にかけた青いブルーシートがいたるところに見える。近来にない台風被害を乗り越えて、今年 も行われた信太九町だんじり祭。数多い泉州の祭の中でも、ここならではのだんじり祭を続けてきた人々の意気込みが感じ取れた。
 =2018.10.7取材 (文・写真  小泉 清)

・信太九町だんじり祭と蔭涼寺のモクセイ=2011.10.9取材
              
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