熊本地震、強い“地元愛” 被災者自身が支援者に                                    
 4月14日に続き、16日に震度6強の地震が発生、当初の見込みをはるかに上回る犠牲と被害を出している熊本地震。余震が続き、いつ現地に向かうか迷いがあったが、熊本地震で熊本市社協のボランティアセンターが4月22日活動を始めたと聞き、滞在先の福岡県久留米市から西鉄大牟田線とJRK鹿児島線を乗り継いで熊本市入りした。

  ◇崩れる熊本城石垣、歩道には断裂

 中心部の受付に行くために市電に乗車。駅近くや車窓からは見る限りでは倒壊したビルなどはなく「そんなに被害があったのか」という印象だ。集合場所のお花畑公園には8時半ごろ着くが、「前日の大雨のため準備が遅れ、受付開始時間が11時になります」という情報を車中で得ていたので、設営に当たっていたスタッフに確認のうえ、周辺を回った。地図を見ていると、美術館の職員らしい男性が熊本城の被害の大きいか所近くまで案内してくれた。天守閣のしゃちほこが外れ、少し歩くと石垣が何か所も大規模にくずれ=写真右、外周の神社の本殿はぺしゃんこになっていた。歩道も各所で断裂が走り、沈んだり隆起している=写真左

  ◇ボランティア、被害家屋片付けより依頼呼びかけから

 10時過ぎにお花畑に戻ると、集合場所向かいの公園には参加希望者がずらり待っている。10時半くらいには受付を開始、11時半くらいには参加希望者多数で受付が終わったようだ。ホームページでは「被災家屋のあと片づけ作業が中心」と書いており、念のためシャベル、ヘルメットも用意していったのだが、「余震で倒壊のおそれがある家にはまだ入れず、片づけ作業はまだできない」とのこと。被災世帯へ「ボランティアが手伝います」との案内+依頼票のポスティングを行うという。

 参加者は25人ほどの班に分かれて市電で移動、地点ごとに数人ごとのチームとなり、私は7人でポスティングしたのが、対象の世帯と比べて渡された用紙があまりに少なく、実質2時間ほどで終わってしまった。同行してきたテレビ局のスタッフから「コピーしてきましょうか」と申し出があたものの、地元の若手のリーダーが「そこまでしなくても」と。後で考えると臨機応変にコピー代出しても柔軟に対応しても良かった。他の班でも同じ状況で、お花畑へ戻って予定の午後4時よりも終了となった。

  ◇仕事再開まで「もっと大変な人の手助けを」

 余震の続く中でセンターに準備不足の感もあったが、県民限定などはせずオープンな姿勢なのは良かった。集まってきたボランテイアの士気が実に高かったのには感心。新幹線が未開通で、ほとんど地元の人。「しばらく避難所にいてから今は家に戻れたが、被害がまだ少なかった分、もっと大変だった人の手助けをしなければ」という年配の夫婦、「建物が危険なので店は当面休み。家にいて余震を気にするより、外に出て前を向いて動きたい」といった店員もいた。

 本格作業に備えて作業服や安全靴に身を固めた中堅の建築系男性もいた。郷土のことを好きなのはどこでも共通だろうが、熊本の人の「熊本愛」はなかなかのようで、「みんなできれば熊本で仕事について住んでいたいと思ってます」と話していた。全国紙が社説で広域避難を呼びかけたりしていたが、一時的ならともかく、熊本の人々の気持ちとはそぐわないようだ。

 「人手がない場合はボランティアに頼める」ということを知らない人が多く、その点は遅ればせながら周知の意味はあった。ポスティングといっても、実際に居住者が家の前にいるような場合は、概要を話したうえで手渡したのだが、「入院している夫の介護で、今家に帰ってきて初めて被害を知った」という高齢の女性は、ボランティアセンターの存在も知らなかった。隣の駐車場のブロック塀が倒れていて出入りに支障をきたしていて「さっそくセンターに頼んでみます」と話していた。

  ◇独居高齢者に夕食作って配る女性も

  予定より早く解散となったので、もう一度市電で水前寺方面に行って街を歩く。中央区大江地区あたりで犬を連れて散歩している同年輩の女性に道を尋ねると、「余震が続いて、地震が起きていない時でも揺れているような感覚になる。家族とぎくしゃくしてくるんで、できるだけ犬と外に出ているんです」と話してくれた。そうこうしているうちに、この方の友人で独り暮らしのお年寄りに食事を作って配って歩いている女性にも出会った。この女性には近くの市民センターに設置された避難所に連れて行ってもらった。この日は熊本市でも有数の都市ホテルのシェフが出張してきて、特製のカレーライスをふるまっていた。こうした外の団体や企業からの協力は増えているようだ。

  ◇ボランテイアの役割 被災者に浸透しきれず

一方、近所の私立高校に置かれていた避難所は地震発生1週間足らずで閉鎖。その分、ここの避難所に移ってきた人もいるようで、かなり狭い環境で食事をしていた。94歳の女性もおられ、今のところ元気な様子だった。

 この地域で話していても、手伝いする存在としてのボランティアはほとんど知られていなかった。行政からの案内もされていない。先ほどの配布チラシが一枚余っていたので見せると「50部ほどコピーして近所に配ります。避難所にも張っておきます」というので渡しておいた。また、避難所では「自分の家のことなのに、他の人に頼むのは申し訳ない」という人もおり、「お手伝いをしたい」という人が何人も並んでいることを伝えた。この地域を歩くと、ブロック塀が倒れたままになっている個所もあり=写真上、こうした障害物の除去はボランテイアが数人いれば進むのにと感じた。

 新聞やテレビでも報道されているのになぜ知らないのかとも感じたのだが、「テレビは衝撃で映らなくなたつし、新聞は地震一色の紙面で、読むと気がめいってしまうので最近は遠ざけている」という事情を聞いた。たしかに災害発生後に知らせるだけでなく、普段から課題を掘り起し、災害が発生した場合の対策を前もってきちんと整理して伝えておくのが行政にしても報道にしても必要なのではと思った。 

         =2015年4月22日取材 (文・写真  小泉 清)


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