上丹生の茶わん祭  滋賀県長浜市        

   
        
丹生神社で奉納される「神子の舞」。「十二の役」が道笛に合わせ囃子を演じる

・時期 祭り自体は5年に1度しか見られないが、「余呉茶わん祭の館」で曳山のレプリカや使われる楽器などを展示。原則土・日開館。
・交通案内   JR北陸線木ノ本駅から余呉バス丹生線で上丹生茶わん祭の館前下車、余呉駅にレンタサイクルあり
電話 奥びわ湖観光協会(0749・82・5909)、 茶わん祭の館 (0749・86・8022)=土・日の午前10時~午後4時
                        =2014年5月4日取材=
        
  滋賀県長浜市余呉町上丹生(かみにゅう)に伝わる「丹生茶わん祭」が5月4日、5年ぶりに行われた。上丹生区の陶器の名工が、神に感謝して飾りを付けた作品を奉納したのが起源とされ、平安末期までさかのぼるという祭り。陶器や人形で物語を表現した山車の巡行、室町時代の様式を伝える稚児の舞などが古式豊かに披露され、300戸、1000人とふだんは静かな山里は賑わいを見せた。

   山里に5年ぶり甦った伝統のきらめき  

 午前9時半、山びこ会館から丹生神社まで神職、区長、稚児、花奴らが出発、道笛の「ちゃはる練り込み」に合わせて進む。鎧をつけ鉢巻を巻いて長い薙刀を手に行列を先導する薙刀振りの少年の表情が凛々しい。淀川水系源流の高時川にかかる大宮橋を渡り、石段を上がって丹生神社の社殿の前に着く。杉の大木に囲まれた境内にはシャガやチゴユリの花が咲いている。。草木の緑の中に花奴の花笠が開き、鮮やかな大輪の花が咲いたようだ。

   ◇中世の様式残す稚児舞、優雅な衣装と所作

  神事に続いて舞楽殿で稚児舞の奉納が行われた。小学生の舞子7人が6種類の舞を奉納した。三役の舞のうち最初の神子の舞は留袖の着物に金冠をかぶり、棒と笹を手に舞う。鈴の舞では振袖で打掛を着て鈴と御幣を持つなど衣装や持ち物も違う。しかし、どの舞も後ろ向きとなって後ずさりしながら舞う形は中世の舞の残りで、極めて珍しいものとされている。この足の運び方が実に優雅で引き込まれてしまう。舞子の関係で、本来10ある舞のうち、演じられたのは、このほか八つかえしの舞、仲居指(なかいざし)の舞、構打(かまえうち)の舞、男児二人で演じる獅子の舞の6種類だったが、衣装も所作も変化があって面白い。構打の舞、獅子の舞はでんぐりがえしをするなど動的な要素も楽しめる。

 小太鼓、鉦(かね)叩き、鼓打、ささらすり、棒振り、大太鼓という12の役があり、舞台の両袖に分かれて座る。道笛の奏でる舞笛に合わせて囃子方となり、舞が演じられる様は幽玄さを感じさせる。中でも大太鼓の装束は、竹の先に御幣をつけた巻短冊、七筋の丸帯を垂らした屋形を背負い、舞の時も行列の時も一際目に着く。

 11時半に神輿が出発。3人が法螺貝を吹き、2人がかりで大鉾を運び、8人が神輿を担ぐ。大鉾は相当重いようで、力持ちの男性でも思わずバランスを崩しそうな場面もあった。氏子総代が最前列で切麻を撒いて道を清めながら神輿神幸の列が続き、神輿茶わん祭りの館広場に到着。名山・七々頭ケ岳を正面に見る広場で再び「三役の舞」が行われた。

  ◇曳山飾り 人形と陶器の絶妙なバランスに歓声

  この時には、中村組の永宝山、北村組の丹宝山、橋本組の寿宝山の3基の曳山が広場前にそろっている。寿宝山の場合、芸題は「番町皿屋敷」で宙人形はお菊、下人形は青山播磨。その間を重ねた皿など主人公ゆかりの品々を組み合わせている。3基合わせて9人の山作り工匠が、昨年末から門外秘伝の技を駆使して制作したものだ。午後2時15分から御旅所の八幡神社への神輿行列。曳山3台は最後についていく。参道はそう広くなく、宙人形まで高さ10mの曳山が電線が架けられた個所を通過するのに梃子方も大変だ。曳山の上では、笛、太鼓、鉦の4人で構成される「しゃぎり」が囃子を奏でている。三基は御旅所祭礼が始まった八幡神社に到着して並び、一番山から順に工匠が山飾りを支えていた竹竿の「サス」を外していく。髙所で揺れる人形からサスを外すのは至難の業で三番山は難航したが、すべて外れて新緑と青空を背に巧緻な作品が浮かび上がった。これが茶わん祭り最大の見せ場だ。

 稚児の舞奉納の獅子の舞が終わるとともに、午後3時すぎ、神輿は丹生神社へ還行を始める。西陽の中、花奴が花笠を広げて今回の祭りで最後の花奴踊りを披露する。昔は25歳までの男子だけで行っていたが、今は男女の中高生が受け持っている。豆絞りの手拭いをかぶり長襦袢にたすきがけで花笠を広げて踊る姿は、男女とも艶やかで、行列の花形というにふさわしい。

 日が陰ってきた午後3時半すぎ、神輿は石段をかつがれて丹生神社に戻る。ここで「三役納めの舞」が行われる。舞子の中でも「神子の舞」と「鈴の舞」を舞った二人の女の子は、4回舞ったことになるのだが、疲れもマンネリも感じさせず、一回一回清新な表情で舞っているのには感心してしまう。旧余呉町の小学校で希望者を募り役は抽選で選ばれ、春休みごろから練習してきたそうだ。舞子に限らず、花奴や道笛と今回が初めてというケースが多い小中高生が限られた練習時間の中で、一人一人の技量を高め、年代を超えたすぐれたチームプレーを発揮できるのは、伝統の祭りが持つ不思議な力なのだろう。

  ◇新しい力取り入れ、幅広い人が盛り立て

 ずっしり重い巻短冊を背負っていた大太鼓の若者は、上丹生から2時間かけて岐阜の大学に通う19歳、前回は花奴として参加した。普段は長浜市の中心部に住む大鉾を運んだ青年は「神輿は35歳までですが、その年を越えても曳山で笛を吹くなどいろいろ役目はあるので」と話す。住み方、働き方は多様化してきても、祭への思いはみんなのものだ。

 神輿奉祭を最後に祭は終わった。5年ぶりの祭りが無事に盛大に行われた安堵感と祭りの後の寂しさを胸に、人々は広場に戻っていく。保存会長の丹生善喜さんに「ふだんは静かな集落で、これだけの祭りが見られるとは思ってもいませんでした」と正直な感想を述べた。長く小学校で教えた丹生さんは「子供の数が減っていく中で、上丹生だけでなく余呉町の小学校に参加してもらいました。余呉駅と会場を結ぶシャトルバスの運行、交通整理、広場での販売など広い範囲の人々が茶わん祭を盛り立てようと力を貸していただきました。皆さんのおかげです」と話された。

 舞い方など核心部分では伝統を守りながらも、舞子や花奴を女子や集落外に広げるなど時代に合わせた改革を重ねてきたから「茶わん祭り」は続いてきたのだろう。昼休みに「茶わん祭りの館」で語り部が説明する催しは今回初めての企画。心ばかりの志を出すと、上丹生の米と水を使ったオリジナル純米酒「七々頭岳 茶わん祭り」をいただいた。小さなむらの大きな力を感じた一日だった。
   「変わらずに生き残るためには変わる」中世からの祭り   

                                     (文・写真  小泉 清)                                            
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