「変わらずに生き残るためには変わる」中世からの祭り             
  茶わん祭から1か月ちょっと経った6月10日、上丹生を訪ね、保存会長の丹生善喜さん(67)に祭りの運営と将来について改めて尋ねた。丹生さんは祭りを存続させるため地区外にも参加者を広げてきた取り組みの背景を説明し、「祭りが続く限り、むらが消滅することはありません」と祭りが地域で持つ重みを話された。

  ◇稚児や花奴、地区越えた小中高生の参加も

 核心部分は伝統をしっかりまもりながら時代に合った形で運営してきた茶わん祭。今回は、丹生地区の居住者や縁者に限っていた稚児や花奴を地区外の児童・生徒から広く募る新たな取り組みに踏み込んだ。舞子と、囃子方の「十二の役」を演じる稚児は少なく見ても16人は必要だが、地区内の小学生は5人。このために丹生さんらが旧余呉町の小学校を訪ね、参加を要請した。事前の練習への送迎が必要なので応募は限られ、「扇の舞」など一部の演目は削らざるを得なかったが、「参加への道筋はつけたので『今回は見るだけだったが、次は自分が演じたい』という子供さんも出てくるのでは」と丹生さんは期待する。

 在所の子供でなくても、近隣の町村に嫁いだ女性の子供が囃子方に参加することが多い。練習は春休みにみっちり行い、新学期が始まってからも週末に続けるので、送迎ができる範囲ということになる。はじめは祖父母や親に勧められて渋々始めても、練習に参加するうちに、他の稚児と仲良くなったり面白くなったりして、熱心に取り組むようになるという。「最近の子供はセンスも良くて、覚えもいいですよ」。練習の仕方も、師匠から「手取り足取り」で教わっていた丹生さんの時代と違い、ビデオを活用。師匠の方からも「教えやすい」と好評だ。

 旧余呉町の男女中高生を募った花奴は、友達から友達へと輪を広げる中高生の力で25人が確保された。青年会の男子だけで構成され、祭の時は酒を飲んで演じていたいう時代とは様変わりしている。「ただ、はにかむ年代なので、どうしても踊りが小さくなる傾向があります。特に男子には『動きを大きく』といっているんですよ」と丹生さん。私は以前の花奴踊りを知らないが、中高生の男女が演じる踊りも艶やかで良かった。舞いや道中の道笛も男女の高校生が受け持ったが、袴姿が凛々しかった。

 小学生にしても中高生にしても、参加した子供は役目を終えた後、「難しかったけど、たくさんの人の前でできた」という自信と満足感を語る。「祭りが子供たちを育てているんですね。参加した子供たちは、祭りが終わってからも大人にあいさつするし、大人の方もどこの子かよくわかる」。長年小学校の教師を務めてきた丹生さんは、こう話していた。

  ◇核心部分支える50〜60歳代の新人

 祭りの担い手の拡大は、これまでもできることから取り組んできた。山車の曳き手は事前の練習はそう必要なく、当日に指示を徹底すれば良いことから、責任者と梃子方を除き在所や縁者に限らず、地区外の知人や友人でもOKとし、事前に登録した人に依頼している。神輿の担ぎ手は、上丹生ゆかりの25歳から35歳までの長男という限定は残しているが、普段は町外に出ている青年も当日帰ってくるので今年は定員以上に揃い、急きょ服を注文したそうだ。
 
 一方で、普段からの練習や高い技能が求められる分野は、やはり上丹生の在所の人が担わなければならない。曳山の上で笛、太鼓、笙を奏でる「しゃぎり」は、本来楽譜もない独特の調べだけに、祭の年だけでなく練習の積み重ねが必要で、毎年の丹生神社の例祭にも奏でている。青年団で道笛を吹いていた経験者が、団を卒業してから30代でしゃぎりのメンバーになることが多かったが、最近は経験がなくても50、60代になってから始める人が出てきた。曳山につないだ山飾りを秘伝の業で作る「山作り」で、3基の山作りを9人で行う。現在の70〜80歳の長老3人は20歳ごろから始めているが、今回は60歳代の新人2人が加わった。

 「新人といっても、子供の時からシャギリの調べを聞き、山飾りを何回も見ているなどなじみがあります。定年を迎えたり、仕事が一段落したのをきっかけに『やってみたい』と自分から入ってきた人は意欲が高いので上達も早く、先輩の協力があれば心配ありません」と、核心部分を支える中高年の新人への期待は高い。

  ◇「祭りが続く限り、むらは消えず」

 今回の祭りの総括はこれからだが、地元では「3年後は難しくても、5年後には次回を開催したい」という声が強いという。「間隔が空きすぎると、山作りなど難しい技を中心的に担う人材が育たず、伝承が困難になっていく」と丹生さんは指摘する。「若い世代の担い手を広げることに道筋はつけられた」と今後の継続開催に手ごたえを感じた印象だった。

 丹生へは京阪神から電車とバスを使って気軽に来れるし、丹生から東京へは日帰りで往復できるなど交通の便は悪くない。「定住のネックになっているのが冬の雪。道路の除雪がされるようになっても、家から道路までの除雪や雪下ろしは厳しい。むらから通勤できても若い人が長浜中心部に移ったりする要因になっています」という。人口の減少と高齢化は歯止めがかかりそうにない。そして、地域を揺るがしている丹生ダムの建設中止問題。ダム完成を前提とした観光開発や道路整備が宙に浮いた状態になっており、こうした課題へのきちんとした対応を求めている。

 地域の現況は甘いものではないが、といって上丹生が限界集落のイメージにずっと包まれているようには感じない。これだけの祭を地区が自ら運営し、むらの出身者を集め、周辺地域の住民をはじめ広い協力を呼び込むことは、どこでもできることではない。丹生さんの言葉の通り、茶わん祭があってこそ上丹生があるのだろうし、上丹生があって茶わん祭が続いてきたのだろう。今回は営農組合が地元産の酒米を使った純米酒「七々頭岳 茶わん祭り」をつくり、志納への記念品として渡していたが、組合ではこの酒を継続的に醸造・販売できるか検討しているという。「小さなむらの大きな力」に祭の当日だけでなく、季節を通じて感じることができたらと思った。
                     (2014.6.13取材=文・写真=小泉 清)

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