王仁塚のムクゲ 大阪府枚方市             

   
        王仁塚のムクゲ
        梅雨の合間の夏空に開くムクゲの花
・花期  6月下旬〜10月上旬

・交通案内  
JR学研都市線長尾駅(快速停車)から南西へ歩いて10分

電話 枚方市文化観光課(050・7102・3202)、王仁塚の環境を守る会事務局=吉留さん方(072・859・2716)
                                =2012年7月10日取材=
        
 
  4〜5世紀に朝鮮半島の百済から日本に漢字や儒教を伝えたとされる王仁(わに)。その王仁博士の墓と伝えられる王仁塚は、北河内の住宅地の一角にある。地元の人々らの30年にわたる取り組みで、日韓の友好の舞台となった王仁塚では、韓国の国花・ムクゲが多彩な花を開き始めていた。

    先進文化伝えた先賢の薫り 高く永く

 梅雨が中休みして青空が広がった朝、王仁塚を訪ねると、ひときわ目をひくのが2006年秋に完成した百済門だ。王仁の生地とされる韓国南西部・全羅南道霊岩(ヨンアム)郡に建つ王仁廟をイメージした門。韓国独特の朱や緑の色で塗り分けられ、百済ゆかりの史跡にふさわしい。門をくぐって丸い墓石や「博士王仁墓」と刻まれた墓碑に向かう。
 まわりの園地を250本余りのムクゲが彩っている。一重の白で中心部が赤く染まった底紅のほか、紫系の色の花でも濃いものから淡いものまでがそろって咲いている。純白の一重=クリックで写真=、薄紅色一色の八重もあり、20種類ものムクゲを楽しめる。

 ムクゲは夏から秋まで長く咲き続ける。原産地は中国だが、とりわけ韓国で「無窮花(ムグンファ)」と呼ばれて愛され、日本の植民地支配下でも民族のシンボルの花とされてきた。墓の北側には朱塗りの柱と瓦が百済の雰囲気を漂わせる休憩所がある。ムクゲの木はその屋根を越して夏空に枝を伸ばしている。

   ◇植樹の初代は30歳、世代更新も順調に

 この塚のまわりにムクゲが咲き誇るようになるまでには、一つの歴史があった。塚は長年、地元で「オニ塚」と呼ばれていたが、江戸時代後期に京都の儒学者が「日本の学問の祖」王仁の墓探しに奔走し、文献から「このオニ塚は『王仁の墓』の転じたもの」と断定した。太平洋戦争直前の1940年になって塚は、「伝王仁墓」として府の史跡に指定された。しかし、戦後の混乱や開発の中で忘れられていた。

 荒れ放題の姿に「これではいけない」とムクゲの植樹を思い立ったのが写真家の吉留一夫さん(77)。塚の前に引っ越してきた34年前のことだった。写真仲間の仲立ちで韓国のムクゲ植樹推進本部の協力を得て韓国から苗200本を持ち帰り、1984年11月に参道を中心に数十本を植樹した。地元を中心に「王仁塚の環境を守る会」もでき、清掃や木の手入れなどを続けてきた。寒さや乾燥にも強い植物だが、それでも晩秋から春先にかけての施肥を怠らず、そのかいあってムクゲは順調に育った。

 門の西側には王仁が来日の際、漢字を伝えるため携えてきたという「千字文」の一節を刻んだ記念碑がある。在日韓国人経営者らがメンバーの宝塚王仁ライオンズクラブが1998年に寄贈した。その隣にある「論語碑」の脇に真っ直ぐに伸びる木は、孔子が好んだ楷(かい)。孔子廟のある中国・山東省曲阜生まれの木は、秋には葉が赤と黄色に染まる。

 この碑のまわりのムクゲの木には、なぜか花が咲いていない。「まわりの松の影響かもしれませんが、一番初めに植えた木なので樹齢としては30年。花を咲かせるには弱ってきたのかもしれません」と吉留さん。しかし、心配することはない。周囲には、この木から飛んだ種から育った実生の若木が伸びてきている。2010年5月の国連の「グリーンウェイブ2010」のイベントでは「守る会」と京都、宝塚の王仁ライオンズクラブが新たにムクゲ20本を植樹するなど、世代更新は順調に進んでいる。

  ◇国超えた王仁博士通し、普通の人と人のつき合い

 休憩所は「善隣友好館」と名付けられ、王仁の生地という韓国南西部・全羅南道霊岩郡の王仁廟の写真などを展示し、毎年4月に開かれる「王仁文化祝祭」の様子も紹介している。ソウル南東部で百済建国の史跡が多く残る松坡区では毎年9月に漢城百済文化祭が開かれ、百済を代表する文化人として王仁もパレードに登場。「環境を守る会」に毎年招請状が届く。

 ここ2、3年は円高ウォン安で少し減ったが、韓国からの旅行で大阪から京都に向かう途中立ち寄る観光バスは途切れない。毎年11月の修学旅行で、豊臣秀吉の「朝鮮出兵」の惨禍を伝える「耳塚」(京都市東山区)とともに7年続けて訪れたソウルの小学校もあった。儒学の縁で台湾を含め中国の研究者や学生も訪れる。「国を超えて文化を伝えた王仁博士への関心と評価の広がりに驚きました」と吉留さんはいう。

 王仁については古事記、日本書紀に応神天皇に招かれた優れた学者として記述があるが、実在の人物としては疑問視する見方も強い。しかし、年代のずれなどはあるにせよ、東アジア文化の共通基盤となる儒教と漢字が、日本と最も友好的だった百済の最高レベルの学者によって伝えられ、これが日本にとって決定的な飛躍点になったことは疑いないだろう。

 ここ10年でも教科書、靖国、竹島…と、歴史認識をめぐる摩擦が繰り返された日本と韓国。「難しい時こそ、王仁博士を通じて育まれた普通の人と人との息の長いつきあいを大切にしていきたい」と交流を続けてきた「守る会」の活動は貴重だ。

   ◇開花の生命力をデジタルで表現

 写真家の吉留さんが、昨年から今年にかけて力を注いだのは、4月から韓国を巡回しているムクゲの写真展「無窮万華」だ。

 吉留さんは1989年の「王仁塚の四季」から4、5年おきに韓国で写真展を開いているが、今回は趣向を一新。ムクゲの開花を、つぼみが開き始める夜8時から花が開ききった翌朝8時まで30分ごとにインターバル撮影し、そのうち9枚を選んだうえ、陰陽のうちわや提灯など韓国の伝統工芸品の画像とコラージュした作品30点を創作した。

 インターバル撮影は以前に試みたこともあったが、デジタルカメラの進歩で行いやすくなり、コラージュもパソコン上で手軽にできるようになったため再挑戦。漢城文化祭で知り合った知人から「あと一度は写真展を」と勧められた時、「人間が眠っている時間に自然界の生命力で開花するムクゲに、デジタル機能を絡ませて表現するテーマで」と昨年8月から集中的に取り組んだ。

  「韓国の国花のムクゲを、日本人が新しい手法で取り上げることに反発が出るのではないか」という心配もあったが、ソウルの美術の中心地・仁寺洞(インサドン)の画廊でスタートした写真展では、4月2日からの1週間で1200人を超す市民が観覧。芸術関係の学生が目立ち、中国の教育者も訪れた。「ムクゲが咲いていく過程の写真を見て、私の人生で夢を実現するため、もっと時間をかけて自分を磨いていかなければと思いました」と感想を記した女性もいた。

 フィナーレの展示は、王仁の故郷・霊岩郡で菊花祝祭(10月27日〜11月18日)に合わせて開かれる。吉留さんは今夏のムクゲをインターバル撮影するとともに、特産の霊岩陶器、霊岩の名山・月出山にコラージュする「霊岩バージョン」の作成に取り組んでいる。

 デジタル技術を駆使した今回のムクゲの写真展、当時の最新文化と技術を伝えた王仁博士ゆかりの地ではとりわけ関心を呼ぶことだろう。


    ★ 今に生きる王仁博士と千字文との出会い 

                                                   
                                  (文・写真  小泉 清)