那智の峰見上げ台風12号に屈せず・・・和歌山・那智勝浦町              タイトルの季節を歩く

  9月3、4日に紀伊半島を遅い、多くの人命を奪い大きな被害をもたらした台風12号。9月下旬の2回、4日間を和歌山県の那智勝浦町と古座川町で復旧の手伝いの活動に携わった。巨岩や根こそぎ倒れた巨木が川を埋め、泥が田畑を埋める被害の大きさと広がりには息を呑んだが、泥かきや廃材運びの作業の合間に聞いた被災者や地元ボランティアの話からは、代々築いてきた土地と家を取り戻そうという意気込みが伝わってきた。

 紀伊半島の山と川と海は、ここ十年、熊野古道をはじめ幾度となく訪ねて歩き、土地土地の人々にお世話になってきただけに、東日本地震とまた違った衝撃を受けた。これまでの体験を思い起こしながら、再び古道を歩くためにも少しは手助けをしたいと思ったが、紀勢線も不通が続き、個人ではなかなか現地に近づけない。各地の社会福祉協議会が出すボランティアバスへの参加者も市民限定などで乗れない。9月半ば過ぎに、東日本大震災でボランティアバスを運行してきた神戸のグループ「不良ボランティアを集める会」が17日から格安料金の「まごころ和歌山便」を始めることを知り、まず19日夕に三ノ宮駅前を出る第2便に乗車した。

 この時期は折り悪く台風15号が接近。20日は天気が持って那智勝浦町でのボランティアでの活動は行われたが、被害の大きかった那智側沿いの井関地区などには避難勧告が出て立ち入りができず、同町でも西寄りの太田川沿いの中里地区に入ることになった。年配の町民の送迎ボランティアの運転で現地に向かう。
 台風12号で大きな被害を受けた那智勝浦町の井関地区 太田川沿いでは一見甚大な被害はないように見えたが、それでも川岸の鉄柵がなぎ倒され、竹やぶが払われるなど、川が激流となってはんらんした様子がうかがえた。センターを通じて受けた依頼は、前に来たボランティアが屋内に流れ込んだ泥をかき出して入れた土のうを50mほど離れた川岸に運び、土を処分する作業。土のうの数は60袋近く、20代から60代までのバスのメンバー5人の協力で、1時間ほどで処理したが、床上を含む浸水の程度は予想以上に広範囲だった。午後から行った近くの工場では、泥出しはほぼ完了したが、機器の多くが泥水に使って使えなくなったと経営者は話していた。

 21日は台風が直撃するため作業は中止になると20日夕の便で帰阪したが、井関地区などの復旧が遅れていることを聞くにつけ落ち着けず、27日発の便で再び那智勝浦に入った。28日の作業は井関地区と決定。市中心部のボランティアセンターからバスで現地本部(サテライト)に向かう。市街地からそう距離はないのだが、那智川沿いの車道をさかのぼっていくにつれて、鉄柵が崩れたりアメのように曲がる=写真左=など台風の爪痕があらわになってくる。保育園に設けられたサテライト前で降車すると、那智川の河原には巨岩が積み重なり、左岸の山すその植林地からはヒノキの高木が川に根こそぎ倒れこみ、自動車がひっくりかえっている。

 元々の熊野古道を少し南に戻って民家の泥出しに行く。街道沿いの家は破損が激しく、崩れた石垣も目につく。依頼者の80代の女性宅では、母屋からの泥出しは先行のボランティアの手で行われていたが、庭いっぱいに土砂が流れ込み、30cmを超す厚さまで堆積。近くに住んでいた長男を含め10人ほどでスコップで土を掘り起こし、ネコと呼ぶ一輪車に乗せて家の西側の県道沿いの土盛り場まで運んだ。粘土質を含んだ土砂だけに結構重い。土盛り場からは地区の若者らが重機で処理するそうだ。

 この日は庭の6割くらいまでの土砂を処理、翌々日の30日も、たまたまこの家が担当となった。依頼者の意向で家周りと床下に残った土砂をかき出して運んだ。庭はならしてほぼ復元できた。それでも農作業小屋はまだ泥に埋まったまま。お盆の時期に収穫して小屋に保管していたコメは駄目になってしまった。熊野那智大社へのバス再開を目指し復旧工事が進む那智勝浦町の井関地区
 ネコで横切っていた家と道路の間の土地は土砂で埋まり、ここがつい最近まで田畑だったとは思いもつかない。上流寄りにあった店舗兼住宅で寝泊りしていた長男は深夜に母からの携帯電話で何とか避難、店は流れてきた大木が当たって全壊し、再開の目途は立たないという。

  熊野那智大社へのバス運行の早期再開を目指し、崩れた護岸と県道の復旧工事=写真右=が急ピッチで進められていた。しかし、井関地区のほか、さらに上流の市野々地区は、県外からのボランティアの参加が公式には9月16日まで認められなかったり、天候の影響で復旧作業はまだまだ遅れ、生活再建は長引きそうだ。井関地区も上水道は使えるようになったが、下水道はまだ不通の状態が続いていた。

 しかし、那智山のふもと、熊野古道に沿って古い家並みが続く井関の人々の地域への思いは強い。正午ごろに雲のかかりはじめた妙法山を庭から見上げていた男性は「この山にかかる雲の動きで天気がわかるんですよ。最も南から富士山を見られるのもこの山なんです」と誇らしげだった。依頼者宅の母屋も大きなダメージを受けていたが、江戸時代の中ごろに建てられた由緒ある家。「私の代でこの家を壊すわけにはいきません。きっと建て直しますから」と力強く話していた。

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*那智勝浦町でのボランティア活動の情報は、那智勝浦町災害ボランティアセンター(090・6551・8458)へ。
無理の出ない形で、明るく開放的な運営を行っている印象を受けました。個人参加でもブログを見たうえ、気軽に問い合わせればいいと思います。

*ボランティアバスの運行は和歌山県社会福祉協議会やひょうごボランタリープラも行っているが、「不良ボランティアを集める会」(080・1445・0547)の「まごころ和歌山便」は、当初から参加者の制限を設けず、最も開放的で継続力がある。
 直近では10月6日、11、13日夕にJR三ノ宮駅前発。南海堺駅前を経由することになったので、大阪の在住・在勤・在学者も、より行きやすくなる(大阪府社会福祉協議会などはバスを出していないこともあり・・・)。

                                                                (文・写真 小泉 清)


           たくましく町民ボランティア・・・古座川町


<おことわり>

 台風12号に関する「那智勝浦町災害ボランティアセンター」は10月16日(日)の活動をもって閉所しました。
和歌山県民に限らず広い範囲の人々が手助けに行く参考にと、緊急にアップしたこのページも一応役割を終えます。
 しかし、災害からの復興、さらに防災への取り組みはこれからも長く続くことになりますし、紀伊半島の山、川、海に生きる人々のさまざまな取り組みは、ずっと追っていきたいと思います。今回の台風被害の教訓を忘れない意味からも、記録として残しておきます。

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