| 能登半島地震のリアル伝える「語り部列車」 石川県七尾市〜穴水町 |
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能登半島地震から1年10か月の2025年10月18日、石川県の七尾市と穴水町を結ぶのと鉄道の「震災語り部列車」に乗車。震災の爪跡も残る風景を眺めながら、発生時に列車に乗っていて乗客を避難誘導した女性乗務員の生の話を聴いた。 女性乗務員が語るあの時、その後 北陸新幹線の金沢ー敦賀間開通で敦賀乗り換えが必要となり、面倒になったJR西で金沢へ、そこから七尾線に乗り換えて七尾駅着。ここで9時58分発の「語り部列車」に乗車した。先頭車両が里山号、二両目が里海号、三両目は一般車両。里山、里海号には山側、海側に向いた席もあり、当方は予約通り里海号の海向きの席に座った。◇乗客48人を丘の廃校に誘導、余震の中一夜 「語り部」は能登半島地震が起きた時に観光列車に乗っていた女性乗務員3人。メインの方が里山号でずっと話すが、サブの人も近くでパネルなどで丁寧に説明してくれる。 和倉温泉の次の駅は「田鶴浜」。精緻な技で知られる建具屋さんが集まる街という。「震災後も、この車両の仕切り壁に組子細工を作ってもらっています。カニや貝の海の生き物の絵は輪島塗の白漆で仕上げています」と教えてもらった=写真左下。 ◇乗客48人を丘の廃校に誘導、余震の中一夜 4駅目の能登中島駅は、2024年1月1日午後4時6分、ここで停車中地震が発生した場所。4分後に最大震度7の激しい揺れが起き、乗客48人を降ろして駅前広場に誘導した。「直後に大津波警報のアナウンスが流れ、92歳の方を含め全員で駅前の丘にある廃校の体育館まで上がりました。ポリ袋を使ってトイレができるようにし、余震が続く中一夜を過ごしました、朝6時半の夜明けとともに外でラジオ体操、近所の人が炊き出しをしてくれました」と緊迫の二日間を語った=写真左上。次の西岸駅前手前から内海の七尾湾が広がっている。湾には名産の牡蠣の筏が浮かび、震災1年半を経て再開通した能登島を結ぶ「ツインブリッジのと」が見える=写真右上。その向こうにはうっすらと立山の稜線が望める。 ![]() ◇「新学期には列車通学」3か月で全線再開 穴水町に入ると、海面にかつてボラを獲るため建てたボラ待ち櫓=写真右中。一方、海辺には津波で崩れたままの家が目立つ。沿線の家の横から両手を挙げて大きく振るおばあさんがいた。「えっちゃんばあちゃんです。90歳で、毎日出て来られます」。こちらも思いっきり手を振り返した。 ![]() 沿線の四季をイメージしたイルミネーションが輝くトンネル=写真左=を抜け、終点穴水駅に10時50分到着した=写真下。 能登半島で唯一残った鉄路・七尾〜穴水間33.4kmを走る「のと鉄道」。地震で大きな被害が出て全面運休した。しかし、「新学期には列車で通学できるように」と復旧に取り組んだという。語り部さんは「折れ曲がった線路を見ると、とても再開はできず、会社もなくなって私達も仕事を失うと思っていました。皆さんの応援で4月6日に全線運行再開の列車が走った時は、本当に嬉しかったです」と振り返っていた。◇「駅前でくつろげる場を」全壊の喫茶店再建 穴水駅前で震災で全壊後再建した喫茶店=写真欄外=で昼ごはん。全壊したが「また駅前で飲食し、くつろげる場所を」という声を受けて再建し、ユニークな外観と昭和レトロの内装の店が甦った。メニューもいろいろ、独自の味のエビカレーとスープカレーラーメンを賞味した。冬は七尾湾で獲れる牡蠣を使ったカキカレーも味わえるそうだ。この日は夕方に金沢で会合があったため、穴水ではゆっくりできず12時10分発の一般車両で折り返した。一般車両でも車掌さんがポイントを案内、能登中島駅で停車した状態で保存されている鉄道郵便車を教えてくれた。短いながら中身の濃い鉄旅だった。 (文・写真 小泉 清) ⇒トップページへ |
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