★能登半島地震1年半、つながり大切に一歩一歩 石川県珠洲市 ![]() |
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◇今年も折り返し 伝承行事の中で子ども育む ![]() そうした街中の小さな広場に七夕が飾られ、子どもたちが集まっておにぎりを食べたり、ガチャポンで遊んだりと賑わっていた。世話役の女性に訪ねると、震災後に始めた「こども食堂」ということだ。 ![]() ◇プレハブ社殿で神事、今秋の祭りには神輿を ![]() 社殿はどこかと探していると、家族の方にプレハブの社殿に案内してもらい、参拝した。太鼓を打っていただいた宮司の櫻井重伸さん(61)は、「震災後に亡くなられたり金沢に避難されたりと地元にいる氏子の方は150人から100人に減っていますが、神事はここで変わらず続けています」と話していた。 9月13、14日に地元の三社が合同で行なう「上戸の秋祭り」。柳田神社で繰り出していた高さ6mの曳山は全壊、去年は神事のみだったが、櫻井さんは「神輿は無事だったので、今年の秋はぜひ神輿を担いでもらえるようにしたいです」と計画している。 ◇金沢に避難の門徒を車で訪問続ける 2kmほど進むと道沿いにプレハブのお寺があった。坊守の松下さち子さんが外に出ておられたのでごあいさつし、住職の松下文映さん(78)に話を伺った。 100mほど西側に建っていた真宗大谷派(お東さん)の往還寺(おうげんじ)。地震で本堂は一瞬に倒壊。震災発生時は門徒宅を訪れていた松下住職は山崩れや道路の陥没で帰路を阻まれ、電話も通じずに山越えで5日後に戻ることができたという。 ご本尊の阿弥陀如来像は埋もれてしまったが、ボランティアが掘り起こして救出してくれた。その夏に本堂や庫裏を解体して更地にし、プレハブの本堂を建ててご本尊を安置。ご荘厳は京都で修復し、4坪ほどの広さでも門徒の心の拠り所となっている。 「金沢に移った門徒の方も多いので、今年になってからも6、7回は車で通って回っています。時間はかかるでしょうが、みなさんの協力をいただいて再建を進めていきます」と松下住職は語っていた ◇崩落で姿変わっても見附島は残っている。 ![]() 震災後1か月で酒造を再開した老舗の蔵元「宗玄」の前を通り、能登町の恋路海岸で引き返した。中心街に戻って中央商店街を通ると、開店している店はまだ数えるほどで人通りも少ない=写真。 ![]() 能登半島はおろか珠洲市のほんの一部をかすっただけの範囲だが、遠いだけではない能登の奥深さを感じ取れる往復20㎞コースだった。 =2025年6月28日(文・写真 小泉 清) ◇ *珠洲市への公共交通: 金沢駅西口から北陸鉄道・能登方面特急バス、のと里山空港ですずなり館前行き乗り換え。 ●問い合わせ: 珠洲市観光交流課 0768-82-7776、すずなり館 0768-82-4688 =2025年6月28日取材 (文・写真 小泉 清) ⇒トップページへ |