★能登半島地震1年半、つながり大切に一歩一歩 石川県珠洲市 ![]() |
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2025年も折り返しの6月27、28日、能登半島でも最も奥の石川県珠洲(すず)市を訪ねた。27日は被災家屋解体前の搬出作業の手伝い、土曜の28日は電動自転車を借りて、中心部の飯田から奥能登をきっての景勝地・見附島の先まで海岸沿いの道を走った。美しい景色の前に広がる厳しい現実の中で、残った人、移った人とのつながりをしっかり保ち、時間をかけて再興をめざす人々がいた。 ◇今年も折り返し 伝承行事の中で子どもたち育む ![]() そうした街中の小さな広場に七夕が飾られ、子どもたちが集まっておにぎりを食べたり、ガチャポンで遊んだりと賑わっていた。世話役の女性に訪ねると、震災後に始めた「こども食堂」ということだ。 ![]() ◇プレハブ社殿で神事、今秋の祭りには神輿を ![]() 社殿を探していると、家族の方にプレハブの仮設社殿に案内してもらい参拝した。太鼓を打っていただいた櫻井重伸宮司は、「震災後に体調を崩して亡くなられたり、金沢に避難されたりで地元に残っていると氏子さんは150人から100人に減っていますが、神事はここで変わらず続けています」。 9月13、14日は地元の3社が合同で行なう「上戸の秋祭り」。柳田神社で繰り出していた高さ6mの山車は全壊、去年は神事のみだったが、櫻井さんは「神輿は無事だったので、今年の秋はぜひ神輿を担いでもらえるようにしたい」と計画している。 ◇金沢に避難の門徒を車で回って訪ねる 2kmほど進むと道沿いにプレハブのお寺があった。坊守のさち子さんが出ておられたのでごあいさつし、中におられた住職の松下文映さんにお話を伺った。 100mほど西側に建っていた浄土真宗大谷派(お東さん)の往還寺(おうげんじ)。地震で本堂は一瞬に倒壊。震災発生時は門徒宅を訪れていた松下住職は山崩れや道路の陥没で帰路を阻まれ、電話も通じずに山越えで5日後に戻ることができたという。 ご本尊の阿弥陀如来像は埋もれてしまったが、ボランティアが掘り起こして救出してくれた。その夏に本堂や庫裏を解体して更地にし、プレハブの本堂を建ててご本尊を安置。ご荘厳は京都で修復し、4坪ほどの広さでも門徒の心の拠り所となっている。 、「金沢に移った門徒の方も多いので、今年になってからも6、7回は車で通って回っています。時間はかかるでしょうが、みなさんの協力をいただいて再建を進めていきます」と松下住職は語っていた。 ◇崩落でイメージ変わっても見附島は残っている ![]() 亀裂の残る橋を用心して渡り、能登きっての名勝・見附島(みつけじま)を正面に望む松林の浜辺に着いた。震災後初めて来たという県内の女性が10年前撮った写真を見せてくれ、「地震でかなり崩れて、軍艦を思わせるかっこいい姿が見られなくなりました」と残念がっていた。初めて対面する当方は「それでも見附島は見附島として残っている」と思い直した。 ![]() それでも、珠洲市唯一の本屋「いろは書店」は震災2か月後の昨年3月に建てた仮設店舗で営業していた。外見からは何の店かわかりにくいが、中に入るとカフェを併設した本屋となっていてお客さんも次々入って来る。店主さんは「親が80年前に創業、昨年は4月の新学期までに教科書を届けなければと開店を急ぎました」と話していた。地元ならではの本も並び、私も「珠洲の民話」を買った。 能登半島はおろか珠洲市のほんの一部をかすっただけの範囲だが、遠いだけではない能登の奥深さを感じ取れる往復20㎞コースだった。 =2025年6月28日(文・写真 小泉 清) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ *珠洲市への公共交通 :金沢駅西口から北陸鉄道・能登方面特急バス、のと里山空港ですずなり館前行き乗り換え。 ・問い合わせ: 珠洲市観光交流課 0768-82-7776 すずなり館 0768-82-4688 ⇒トップページへ |