自転車で風感じる江田島 広島県江田島市 ![]() |
||||||||||
![]()
|
||||||||||
![]() 興隆から終局…旧日本軍の軌跡たどる 広島港(宇品)からフェリーで30分、9時過ぎに島北東の切串港に着いた。結構高い山が海に迫って連なっている=写真。海上自衛官から転身、10月にレンタル業を始めたばかりの店主さんが運んで来てくれた電動アシスト自転車でいざ出発。小学校もある広い集落をざっと周った後、海沿いの「かきしま海道サイクリングロード」を西へ向かった。 ◇暁部隊が爆心地に急行した突堤残る ![]() ![]() この船艇が発着した石積みの突堤が残っていた。暁部隊の通名で知られる陸軍船舶部の活動は最近になって光が当てられてきたが、ここはその歴史を伝える数少ない遺構だ。 ![]() ◇旧海軍学校兵学校の栄光の中に ![]() 帝大生をしのぐ当時最高級の資質を持った幹部候補生が、国際性も含む幅広い教育を受けたとの説明、実際その通りだったのだろう。しかし、こうして育成されたはずの将官たちがなぜ客観的には勝ち目のない開戦を主導したのか、また1944年7月のサイパン陥落で敗戦必至とわかりながら戦争を続けて犠牲者を積み上げたのか…。疑問は解消できない。 教育参考館で日露戦争でロシアのバルチック艦隊を壊滅した連合艦隊の東郷平八郎司令長官の遺髪も見せてもらった。部下をよく統率し、的確な状況判断で世界史に影響を与えた偉業を改めて心に留めた。その一方で、この時の成功体験が太平洋戦争開戦時の判断の目を曇らせたのではとも感じた。 ◇図書館に浜田省吾さんゆかりのバス停 ![]() 浜田さんは広島県竹原市生まれだが、警察官の父親の転勤で県内を移り住み、江田島の小学校に通っていたという。 走った道は江田島町全体の中のほんの一部。まだまだ周りたい思いは残るが、日が暮れてきたので東海岸の小用港に急ぎ、港に来てくれた店主さんに自転車を返却。高速船で呉港に渡った。 (文・写真 小泉 清) ⇒トップページへ |