4年ぶり賑やかに河内(こうち)祭 和歌山県串本町、古座川町   

・時期 7月第4日曜日に本祭、その前日に宵宮(2016年から)
・交通 JR紀勢線で古座駅(特急停車)下車。移動は駅前の観光協会の電動自転車が便利

・電話
 
南紀串本観光協会古座(0735-72-0645)、串本町役場産業課(0735・62・0557)
    =2023年7月22、23日取材

宵宮の夕、古座川河口の古座漁港を出発、河内様に向かう御舟

 
 

 
 南紀の清流・古座川を舞台にした「河内祭(こうちまつり)」が7月22、23日、4年ぶりに賑やかな形で行なわれた。この祭りは2011年に初めて見て魅せられこのサイトで紹介、日程が7月の最終土・日に変わった2016年にも訪れているので私にとっては3度目。地域経済の低迷、高齢化で一部改変を余儀なくされながらも、新しい力に加わってもらうなど祭りの継承に懸命だった。

細る担い手の確保に新しい力

  古座川流域の串本町、古座川町の五地区が協力した祭事。宵宮の夕方に古座川河口から御船が3キロ上流の河内様(こおったま)と呼ばれる聖なる島に向かう。夜のとばりの中で島を回る「夜籠り神事」=写真=をはじめ、二日間にわたって獅子舞や櫂伝馬競争が行われる勇壮で華麗な祭りだ。

 江戸時代に捕鯨の拠点だった古座の鯨舟を模した御船の水上渡御は、国の無形民俗文化財に続き日本遺産にも指定されているが、乗り手の確保が最大の問題。2011年には若手漁業者でつくる勇進会が本来の形通り3艘を出していたが、2016年には2艘に。その後も若手漁業者は減る一方で、新しい力が欠かせなくなっていた。今回船に載せる神額を古座神社の宮司さんから受け掲げるのは、古座のダイビングショップ代表と新人のインストラクター。白装束に身を包み舳先に立って、狭い流れもある古座川をさかのぼる姿は、さまになっていた。

 ただ、2艘出すにはまだ頭数が足らないので2018、19年に続いて、紀伊大島にある航空自衛隊串本分屯地に協力を要請。若手隊員20人が参加、浅瀬で御船を曳くなど力を発揮していた。広報担当官にうかがうと、地域への協力として要請に応諾。派遣隊員は適性質と勤務シフトに沿って決めるが、これまでの参加者の中では志願する隊員もいるという。

 ◇コロナ禍の空白感じさせず 3地区の獅子舞

  午後7時から夜のとばりの中で、提灯を灯した御船が舟謡とともに島を何度も回る「夜籠り神事」。今までと同様、これは最も心が震える情景だ。そのうち西岸の古田の集落から太鼓と笛の音とともに獅子舞の舞手が進んできて、河原で暗闇の中、獅子舞を演じる。古田地区の舞手は「コロナの3年間は感染防止のため、練習も控えていました。夏に入って練習を重ねて一気に取り戻しました。夜の獅子舞は古田だけなので」と誇りを込めていました=写真。

 翌24日は朝7時から古座神社で奉告祭。神が宿る童・ショウロウにふんした小学生3人が当舟に向かう。女の子一人、男の子二人のショウロウは聖なる存在なので、地面に触れてはならないとされ、神社から船着き場まで一人ずつ背負われて進む。この担ぎ手は古座の若衆と思っていたら、応援の自衛隊員とのことだった。石段の上り下りもあるので力持ちの担ぎ手3人にサポート要員3人を加えた入念な配置だ。

 聖なるショウロウは橋の下を通ってはいけないということで、乗船場からほどない古座大橋の手前で当舟は岸に横づけ、ショウロウは担がれて陸に上がる。2011年の時はショウロウは沿道の人に声をかけられてしばらく進み、再び当舟に乗り込んでいたが、今はそのまま車に乗り込んで、そのまま河内様に向かう。「今の子は舟に長く乗るのは慣れていない」とのことだ。しかし、到着後、真夏の日差しが照りつける河原の座に並んで拝礼を受けるのは伝統通り。カメラを向けられても威儀を崩さないのには感心してしまう。

 神事の間、御船が河内様を周回、昨夜の古田に古座、高池下部が各地区ならではの獅子舞を披露する=写真は古座地区。3地区とも女性が笛方を務め、「獅子は男だけの世界という意識ではもたない」と長老も言っていた。

 ◇「積み重ねてきた様式踏まえて」に強み

 本祭の夕方、船が河口部に帰還。古座神社で還御祭を終えた古座区の区長さんは「神事のみの形が3年続いただけに、本来の形で無事行えて良かったです。他の地域の動きを見て2月に実施を決定、これまで積み重ねてきた様式があり、それを踏まえればいいので問題は感じませんでした」と明るい表情。近くに商業ロケット打ち上げ基地の関連施設が動き始めている動きを踏まえ、「外から若い人が家族を連れて来てもらい、祭りを支えてくれれば」と期待を込めていた。

 自衛隊の支援については地元の人はおおむね「二艘の御舟を出すには欠かせず、さすが若い力があって頼りになる」と好意的だ。もちろん、「御舟の操船には難しさがあり、舟数を一艘に絞るなど、外部に頼らなくてもできる身の丈に合った祭りにすべき」という漁業者の指摘も聞いた。今後、どういう形で祭りの担い手を育て、確保していくかはいろいろな選択肢や議論が考えられる。それでも、区長さんの指摘していた「長年積み重ねてきた様式」は何があっても崩れない強みだったのだろう。時代時代に沿った改変を行ないながら、祭りは続いていくと感じた。  (文・写真 小泉 清)

古座川の河内祭=2011.7..24、25取材  御舟が3艘渡御、櫂伝馬競争が3チームで行われていた時期の記録です。

          ⇒トップページへ