夏の奥松島オルレ 宮城県東松島市      
奥松島オルレの眺望ポイント・稲ケ崎
・時期 四季を通じて可能だが、夏は熱中症に注意


・交通
仙台から仙石東北ラインまたは仙石線で野蒜駅下車。宮戸島へはバスの便がなく、送迎車かタクシーで
・電話  あおみな(0225-88-3997),奥松島イートプラザ(0225-88-2611
    =2021年7月29日取材

奥松島コースの中間眺望ポイント・稲ケ崎。馬を模したオルレの標識カンセが行く手を示す
 
 
 コロナの影響で行きそびれていた東日本大震災の被災地に3年ぶりに出向いた。発生から間のない2011年3月末に訪れた宮城県東松島市。その中で奥松島の名で知られている宮戸島に、韓流トレッキング「オルレ」のコースが2018年秋に開設されたと聞き、まずこれに挑戦することにした。

縄文の貝塚、震災復興…島の営み詰まる道

  コロナ禍で航空需要が激減、空席が充分あったので、大阪―仙台間はJAL便を利用。仙台駅からは2015年春に全線再開したJR仙石線に乗り、高台に築いた新市街地に移った野蒜駅で下りた。そこから先のバス便はなくなったので、宿泊先の「大高森観光ホテル」の車で島に渡った。

 縄文期の貝塚の断面を切り取った里浜貝塚の貝層展示館 2017年にできた観光拠点施設「あおみな」を正午前に出発。コース地図を手にまず北へ、島で最も高い大高森の方に向かうが、山頂は最後にお預けで、すぐに南東へ里浜貝塚に下りる樹林の間の道を進む。途中、大正時代に建てられた薬師堂がある。伊達家が松島周辺で建てた薬師堂にならったつくりで、震災で傾いた建物を住民の要望で修復された。

 日本最大級の貝塚の国史跡・里浜貝塚からは豊富な縄文土器、漁具、装身具が発掘され、奥松島縄文村歴史資料館に展示されているが、見学は翌日回しに。それでもルート沿いに、貝塚の断面をそのまま切り取った貝層展示館=写真=が見られる。貝殻のほか、クロダイやフグの骨も見られ、縄文人もフグを味わっていたようだ。前に静かな入り江、背後に木の実が採れる小山が広がり、豊かな生活環境だったのだろう。

 祠のあるタブの大木の脇を通り、海岸から田畑の間の道を通る。島とは思えない広々とした田畑が広がっていた。南へ緩やかな登り道を進むと突端の稲ケ崎に到達する。海流の関係からか、先ほどのタブのような暖帯性の照葉樹が多く、岬の手前にはツバキの木が続いていた。周囲の島々を見渡しながら一休みする。コロナ禍で海水浴場としての再開ながらなかった月浜

 ◇済州島の馬「カンセ」が道案内

 ここまででも、山道、里道、海沿いの道と変化に富んでいるので、疲れを感じない。分かれ道や迷いやすいところには、独特の道しるべがあるので心強い。主要ポイントにあるのは「カンセ」という馬を連想させる金具。カンセとはオルレの本場・済州島の野生馬のことで。頭の方に進めばいいのでわかりやすい。コース沿いの木の枝や電柱に結ばれているリボン。日本を表すという朱色と、海の青色が束ねられていてよく目立つ。

 稲ケ崎から眼下の月浜=写真=に下りる。稲ケ崎が荒波を防ぐ穏やかな浜辺。海水浴場としての再開を期してきたが、今夏もコロナが収束せずに実現しなかった。それでも数組の家族連れが水遊びを楽しんでいた。新浜岬、大浜と海岸の景色を楽しんで東へ歩き、大浜の中ほどで内陸部に入る。

  ◇難破…日本で初めて世界一周した二人初めて世界一周した日本人・儀兵衛と多十郎の碑

 しばらく歩くと池や水路が広がる大浜田湿地。江戸時代に干拓されて水田として使われてきたが、津波でがれきに埋もれて再生が難しくなったため湿地として復元された。心が安らぐ場所だ。

 更に内陸に進むと、観音寺へ。震災で亡くなった島民14人のの名を刻んだ碑がある。島内では江戸時代の津波の教訓を忘れずに高い場所に急いで避難した人が多く、犠牲となった人は比較的少なかったが、島外に用事で出ていた人が多く亡くなったという。

 入口に「はじめて世界一周した日本人 儀兵衛と多十郎」の碑=写真=と説明板が建てられている。江戸時代の1793年、石巻から江戸向けに米と材木を運ぶ船が大しけのため当時ロシア領だったアリューシャン列島に漂着。乗組員だった宮戸島出身の儀兵衛と多十郎はシベリアを横断して首都ペステルブルグに到着。ロシア初の世界一周就航船に乗って南米経由で長崎に入港。13年後の1806年に故郷に帰ったという。この島が鎖国の時代から世界につながっていた史実に驚いた。

 ◇松島湾の島々一望する大高森山頂へ大高森山頂から見た松島湾の島々

 墓地のわきを通って大高森に南から上がる山道に入った。島の南北の集落を結ぶ山越えの道は草木に埋もれていたが、オルレ認定を機に古老に尋ねて復元したそうだ。この登りが最後にして最大の難関。これを越えて標高105mの大高森山頂=写真=に立つと、そのご褒美が待っていた。眼下に松島湾の島々が一望できる=写真。「松島四大観」の「壮観」にあげられるだけはある。 この絶景を最後に置いたところが、奥松島オルレのにくいところだ。

 大高森を北に下り、夕方4時半ごろ「あおみな」にゴールした。オルレとは、済州島のことばで、「通りから家に通じる狭い路地」という意味らしいが、ここのオルレは島の魅力を歩いて身近に味わいながら出発点に戻る設計となっている。充足感とほどよい疲れを得て宿に向かった。
(文・写真  小泉 清)


   悲劇の英雄・護良親王偲ぶ嵯峨渓2021.7.30取材


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