コロナで前半戦が苦戦続きの令和3年だが、5か月遅れながら丑年にちなんで能勢の牛ノ子山(451m)へ。緊急事態宣言が6月になっても延長されるので、大阪府内での選定。併せて滝王山(りゅうおうざん、570m)、三草山(564m)と里山三山を巡った。
梅雨の晴れ間に豊かな里山巡って
森上のバス停から卯の花の白い花が咲く里道を進み、ため池の間を縫って牛ノ子山の尾根道にとりつくと自然林の緑が目に沁みる。なごりのツツジがところどころに浮かび上がる。牛ノ子峠から荒れ気味の小道をひと登りして牛ノ子山頂=写真。山名の由来はわからないが、正月登山の際に奉納したのか、牛の細工物が置いてある。
峠に戻り南へ尾根道を上り下りして宮峠を過ぎると、巨岩が続き滝王山頂。直立する岩に祠がまつられている=写真。笹薮を分けて林道に下り、ほどなく8本の道が集まる才ノ神峠。寛文11年(1711)の道標=写真=が建っている。字は摩滅して読めないが、かたわらの説明板によると「…たにハ ぎんざん ありま ひだりハ いけだみち…」と書かれている。今は山歩きやマウンテンバイクの多田銀山、有馬の湯、北摂の中心地だった池田に往来する交通の要衝だったのだ。
ここから最後の登りで三草山。今度は山頂=写真上左=からの眺望が開け、西に六甲、東南に生駒の山並みが見渡せる。源義経が一の谷合戦の前に集結した山という説もうなずけまる。三草山はゼフィルス(ミドリシジミ類のチョウ)の有数の生息地。チョウが飛び交っていたが、撮影は失敗。エゴノキの白い花=写真下中=が散り敷かれた山道を下った。
里のため池では、睡蓮の花が開いていた=写真。田園の中を進んで能勢浄瑠璃の初代・竹本文太夫の墓がある慈眼寺に寄り、森上に戻った。
(文・写真 小泉 清)
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