紅葉の高取城 奈良県高取町 ![]() |
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今年5月に生まれた孫(長男の長男)の名に「城」がつくので、この秋は城めぐり×山歩きで山城歩き。「日本三大山城」といわれる高取城(奈良県高取町)に上がってきた。 三大山城ならではの高低差と堅固なつくり実感![]() ![]() ◇近世城郭として再生、石垣や石塁連なる 明治の廃藩置県で天守閣などは除却されたが、石垣や石塁が連なっている。特に本丸の高石垣=写真右=は高さ12m、隅はきれいな算木積みで、堅固なつくりに圧倒される。城址を彩る紅葉を楽しみ、大手門から二の丸を過ぎて天守跡に上がると三角点が建てられ、標高584mの高取山頂。西に金剛・葛城山系、南東に大峰・大台の山並みが望める。 解説を読むと、高取城は南北朝時代に越智氏によって築かれ、後に豊臣秀吉の弟・大和大納言秀長の命で近世城郭として築城。城下との高低差446mは日本一で、江戸時代は譜代の植村氏の居城として続いたとか。山城が明治維新まで使われた例は希少で、大和の国の積み重なった歴史が感じられる城跡だ。こうしたところが、美濃岩村城(岐阜県恵那市)、備中松山城(岡山県高梁市)とともに「日本三大山城」と称されるゆえんだろう。 ◇町民自ら守り生かす城下町の景観 ![]() ![]() 城門の一つ・松ノ門が復元された公園には「道路に面した戸口や窓は格子を取り付け歴史的な街並みとの調和を図る…」など「土佐街道まちなみ作法」の高札=写真欄外=が掲げられている。「住民の自主的なルールで、法的規制ではありません」と書かれているが、街道沿いの新築の建物もはこの作法に沿って建てられている。軒先には趣のある花々が活けられており、街並みをつくりだす町民の意識の高さがうかがえた。 (文・写真 小泉 清)=2019.11.15 ⇒トップページへ |