紅葉の高取城 奈良県高取町           

・時期 11月中旬〜12月上旬
・交通 近鉄壺阪山下車。壷阪寺までは奈良交通バスが運行
・電話  高取町観光協会(0742・55・1150)
    =2019年11月15日取材

城址の石垣を彩るイロハモミジの紅葉
 
 
  今年5月に生まれた孫(長男の長男)の名に「城」がつくので、この秋は城めぐり×山歩きで山城歩き。「日本三大山城」といわれる高取城(奈良県高取町)に上がってきた。

 三大山城ならではの高低差と堅固なつくり実感 

  近鉄吉野線壺阪山駅から古い街並みが残る土佐街道を歩き、札の辻跡を折れ南東へ進む。集落の外れから竹藪を抜けると山道へ。石段を登りきると眼病封じのお寺で知られる壷阪寺=写真左=だ。三重塔や多くの堂宇、ハンセン病患者支援のお礼にインドから送られた観音像など見どころは多いが、今回は駆け足で1時間ほどで回る。お寺裏手の林道から、岩肌に刻まれた摩崖仏の五百羅漢を見て、再び山道に入る。観光ハイクといった感じで軽く見てたら、けっこう登り坂もある立派な山登りで、お寺参りを含め3時間半で、壺阪口門から城内に入った。入口には高取藩主の植村氏の25代目が書いた「史蹟 高取城址」の大きな石柱が建てられている。

◇近世城郭として再生、石垣や石塁連なる

  明治の廃藩置県で天守閣などは除却されたが、石垣や石塁が連なっている。特に本丸の高石垣=写真右=は高さ12m、隅はきれいな算木積みで、堅固なつくりに圧倒される。城址を彩る紅葉を楽しみ、大手門から二の丸を過ぎて天守跡に上がると三角点が建てられ、標高584mの高取山頂。西に金剛・葛城山系、南東に大峰・大台の山並みが望める。

 解説を読むと、高取城は南北朝時代に越智氏によって築かれ、後に豊臣秀吉の弟・大和大納言秀長の命で近世城郭として築城。城下との高低差446mは日本一で、江戸時代は譜代の植村氏の居城として続いたとか。山城が明治維新まで使われた例は希少で、大和の国の積み重なった歴史が感じられる城跡だ。こうしたところが、美濃岩村城(岐阜県恵那市)、備中松山城(岡山県高梁市)とともに「日本三大山城」と称されるゆえんだろう。

◇町民自ら守り生かす城下町の景観

   下りは本丸から北西への道をたどる。国見櫓跡からは大和三山をはじめ大和平野が一望できる。今も水をたたえた水堀わきを通って、つづら折りの山道を下る。里に下りると、旧藩主の植村家が住む家老屋敷長屋門など江戸時代の建物が今も生きている。

 藩主下屋敷の表門も石川医院の門として現役で使われている=写真右。中をのぞくと医院の受付は格子風の木造のつくりで、昔の様式と今の暮らしに実に調和していいるのに惹かた。聞くところでは、石川家はもともと三河武士で享保年間に医師に転身。代々御典医を務め、今は十一代目。評判のいい皮膚科の先生という。

 城門の一つ・松ノ門が復元された公園には「道路に面した戸口や窓は格子を取り付け歴史的な街並みとの調和を図る…」など「土佐街道まちなみ作法」の高札=写真欄外=が掲げられている。「住民の自主的なルールで、法的規制ではありません」と書かれているが、街道沿いの新築の建物もはこの作法に沿って建てられている。軒先には趣のある花々が活けられており、街並みをつくりだす町民の意識の高さがうかがえた。
   (文・写真  小泉 清)=2019.11.15

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