サメ、メカジキずらり 気仙沼市魚市場 宮城県気仙沼市 ![]() |
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三陸はもちろん日本きっての漁港・気仙沼(宮城県)。名前はつとに聞いていたものの三陸の被災地の中でも遠い印象があ って未踏の地だったが、冬が訪れる前の年内にと、気仙沼市魚市場でサメやメカジキの水揚げを見てきた。 海と生きる港町の魅力を満載![]() 気仙沼と言えば、やはりサメないしフカヒレのイメージが強いが、メカジキやカツオの水揚げ高も日本一とか。「目黒の さんま祭」のサンマも気仙沼に揚がった魚が使われるなど、半端でない種類と量の魚が水揚げされるという。メカジキは通 年見られるが、10月から3月に三陸沖で延縄漁で獲れるメカジキは「冬メカ」と呼ばれ、脂がのってうまいそうだ。今朝 はその冬メカが特に多く揚がったようで幸いだった。 ◇漁師45年、厳しくとも自由と報酬に サメの種類はよく知らなかったのだが、横にいた75歳の元漁師さんに教えてもらった。生家は県境を越えた岩手県の陸前高田市。父は茅葺き職人だったが、自身は高卒後の18歳から漁業の世界に入った。63歳まで小さい船から大きい船ま で乗って近海から遠洋まで様々な魚を獲り、マグロ漁船でブラジルやスペインまで回った経験もある。マグロ漁は2年乗り 込み、1年で20日与えられる連続休暇は飛行機で気仙沼の家に帰り、またマグロ漁船の寄港先に戻った。ハワイ付近まで行くカツオ船では5時間交代で釣ったり労働は過酷。メカジキの突きん棒漁では450キロの巨体に引っ張られて海に落ち たり、ヨシキリザメに手をかまれたり危険もいっぱいだった。 ![]() ◇サメなら何でも「シャークミュージアム」 8時半を過ぎると魚はあらかた運び出され、掃除が始まったので市場を出て、隣に再建された震災復興の目玉市」へ向かった。2階の日本唯一のサメの博物館「シャークミュージアム」では、海の王者・サメの種類から生態まで全て を紹介している。鋭い刃のホオジロザメの大きなオブジェ=写真右=もあるが、「人を襲うサメは530種のうち30種くらい」と解説している。また、欧米の環境保護団体からのサメ漁への批判も踏まえて「ヒレ以外の部分も食用、カマボコをはじめ練り製品、サプリ、皮革製品などにフル活用され、捨てることころはない」と強調。サメ膚を使った皮革製品や高速水着も展示していた。 ![]() 「震災の記憶ゾーン」では、2011年3月11日に気仙沼を襲った津波被害の凄まじさと、そこから3か月で魚市場を再開させた人々のつながりの強さを映像と肉声で教えてくれる。「被害直後は市場の再開は当面不可能だと代替策を検討するつもりだったが、『カツオの揚がる6月には市場を開けよう』と声をあげると『そうだ、そうだ』という声が広がり、話し合いを重ねて3か月で再開を果たした」という漁協組合長の話が印象的だった。 1階には地元の製氷会社が運営する「氷の水族館」=写真左。防寒服を着て-20°の室内に入ると、マトウダイ、カサゴなど氷詰めした様々な魚や氷の彫刻が見られ、幻想的な雰囲気だ。港・気仙沼ならではのユニークな水族館だ。 ◇震災3か月で市場再開、にぎわい少しづつ ![]() 「海の市」にある観光サービスセンターでレンタサイクル「シャーク号」を借り、内湾沿いの道を通って気仙沼駅へ。途中気仙沼お魚いちば」で持ち帰りの水産物を追加物色。今朝市場で見たばかりのメカジキが思ったより安値で並んでいたので、ベテラン店員さんの助言で、刺身用、ステーキ用、煮物用と買い込んだ。 震災で漁港近くの家や事業所はほとんど倒壊、この地域は居住を禁止して盛り土をして造成したが、まだまだ事業所の進出が進まず、草が伸びた空き地が目立つ。前夜に気仙沼駅から魚市場近くのホテルに着いた時は周辺が真っ暗で気分も落ち込んだ。でも、昼間は「海の市」を中心に人のにぎわいも感じられる。復興商店街があったあたりも少しずつビルの建設が進んでいる。 港町もいろいろだが、気仙沼はどんな季節でも多くの魚を間近に見て食べられる。人々にも明るさと開放感があるようだ。帰阪した翌朝メカジキやメカブを食べて、海と生きる港町の魅力をかみしめた。 (文・写真 小泉 清) ⇒トップページへ |