東日本大震災から7年の3月25日、岩手県の三陸沿岸の釜石市と大槌町を訪ねた。一昨年7月に釜石から久慈まで縦断した時と比べ、住宅や公共施設など建物の復興は進んでいるが、地元には工事が終了していく将来への不安もある。人々は、釜石も会場となる2019年のラグビーW杯へのとりくみなど新しい可能性に目を向けていた。
人とのつながり生かしラグビーW杯へ夢つなぐ
海岸の防潮堤の一部を15mの高さにするより高台移転を選んだ鵜住居(うのすまい)地区では、斜面を削り新しい住居の建設が進んでいる。新しい小中学校は一番高い場所に開校していた。
◇車イスも通れる避難路、旅館の裏山に
松林の続いていた根浜海岸の旅館「宝来館」を訪ねた。津波を逃れるため、客や住民ら38人が避難した裏山には2014年秋に、標高30mまでの避難路=写真右=が完成した。車椅子でも上がれるよう、間伐材のレールも設けられている。体が不自由だった同級生が流されたことを後で知った女将の岩崎昭子さんが、地元の森林組合やボランティアの協力でできた。
避難路を上がってみると、根浜海岸と海が見渡せる展望路だ。上り口には、被災地を訪ねて「おかえりなさい」を歌いたいと願いながら2013年に逝去した島倉千代子さんの志を生かして、後援会が歌碑を建てて歌声も聞ける。季節の花も植えられ、普段は震災を思い起こしながら歩く散策路ともなっている。
◇朝食後、宿泊客に震災体験を解説
この日は日曜で、法事の集まりも行われていて女将さんはてんてこ舞い。一昨年の夏に一家で泊った長男があいさつだけでもとフロントに声をかけると、女将さんが合間を見て出て来られて、別室で影像を使って震災後の取り組みを説明してくれた=写真左。今も毎日の朝食後、宿泊客に話しているそうだ。
復興工事が一段落して工事関係者が去っていく状況が近づいているが、「震災で生まれたいろんな人とのつながりを生かし、夢をつないでいきたい」と岩崎さん。2019年には近くの釜石鵜住居復興スタジアムがラグビーW杯の会場となり、9、10月に2試合が行われる。2016年の岩手国体では根浜海岸がトライアスロンの会場となった。岩崎さんらは、まずスポーツを軸に人を呼び込もうと活発に動いている。
◇建設進む復興スタジアム
津波で根浜海岸の松林の大半は流されてしまったが、共有林を中心にかなりの松が残っている。松林や海浜植物の再生にも地元ぐるみで取り組んでいる。
11月から3月までのシーズンはどうしても来訪者が少なくなる。「旅館を通年開けるためにも、あとの7か月で支える力が必要」と話していた。こうした多彩な取り組みが進むと、根浜海岸をはじめ釜石で濃密な時間を過ごすこともできるようになるだろう。
北へ大槌町に向かうと山側に建設中の釜石鵜住居復興スタジアム=写真右=が見えてきた。高さ13m、幅60mの大屋根が出来上がってきている。
1978年度に新日鉄釜石が日本選手権7連覇ののスタートを切った時、私は神戸で社会人2年生。松尾雄治が司令塔だった「北の鉄人」の記憶が残る。続いて神戸製鋼が1988年度からV7を達成し、その後も阪神大震災で打撃を受けた神戸市民を力づけたことは、より記憶に新しい。その世代としては、ラグビーW杯が新しい釜石をリードすることを期待したい。(文・写真 小泉 清)
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釜石鵜住居復興スタジアムは7月末に完成。8月19日にオープニングイベントとして、新日鐵釜石と神戸製鋼のOB対抗戦が正午キックオフで行われる。松尾雄治氏、大八木淳史氏らが出場。釜石シーウェイブスとヤマハ発動機の現役選手の試合は午後2時キックオフ。
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