激震地 すいせん公園に寅さんの記念碑 神戸市長田区 | ||||||||||
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阪神大震災から23年、1・17は雨の予報なので、神戸市長田区・兵庫区での自主震災ウォークを16日に行った。長田神社界隈、新長田駅周辺を巡って東に歩き、御菅地区の「すがはらすいせん公園」で、寅さん=渥美清さん=のロケを伝えるモニュメントお披露目に立ち会った。。 震災復興への支援と苦闘伝える御菅地区はJR山陽線北側の新長田駅・兵庫駅間の御蔵通、菅原通にまたがる地域で、住宅、商店、工場が並んでいた。菅原市場は1920年(大正9年)にできた古い市場。私は震災当時は神戸を離れていて御菅地区を訪れる機会がなかったが、1977年に新入りでの担当地区が西神戸。「わが町」という連載で 御菅地区を取材したことがあり、びっしり店が並んでいたことや、街づくり活動に熱心だったことを覚えている。◇市場全焼、再生の共同スーパーも頓挫菅原市場は阪神大震災で全焼したが、間もなくプレハブの仮設店舗で営業を再開した。地元からの働きかけを受けて山田洋次監督の「男はつらいよ 寅次郎紅の花」のロケ地になり、1995年9月には渥美清さんが最後の映画撮影に臨んだ。市場は店主が出資した共同スーパー「味彩館Sugahara」に形を変えて2000年に再出発したが、人口回復の遅れや大手との競合で昨夏に閉店を余儀なくされ、今は営業所建設予定地となっている。ロケ中の渥美さんの写真を焼き込んだ記念碑が、閉店までスーパー入口に設置されていた。市場で精肉店を開き、スーパー設立の中心だった吉田安夫さん(68)が保管していたが、「これはずっと見てもらいたい」と神戸市に寄贈。市が震災後の区画整理で市場跡につくった「すがはらすいせん公園」に置くことになった。 ◇皇后陛下が焼け跡で手向けたスイセン御菅地区には震災2週間後に天皇・皇后両陛下が訪れ、皇后陛下がその朝皇居に咲いていた17束のスイセンを手向けられた。その縁で公園は「すいせん公園」と名づけられ、この時のスイセンをもとにしたレリーフ=写真上=も設置された。園路沿いにはスイセンが植えられ、白と黄の花が咲き始めている=写真下。花の間には、かつての菅原市場のにぎわいを撮った写真のパネル板が建てられている。◇最後の映画となった渥美清さんの姿刻む16日夕のお披露目には吉田さんをはじめロケに協力したり、公園の管理に尽力している地元の人たちが集合。「この記念碑が、全国の人から受けた支援や、みんなのがんばりを伝えていってほしい」と話していました。元鶏肉店主の小畑泰枝さんは「体調が悪くなる中で演技に取り組んでいた渥美さんの姿を思い出します。山田監督はその後も神戸に来た時『味彩館』を訪ねてくれました。多くの人の寄金でできた記念碑がいい場所で再登場できて良かった」と喜んでいました。当時のことを直接知らない中学生も帰宅後に公園に集まり、真剣に見ていた=写真下。震災23年後の状況は厳しく、復興のシンボルだった御菅地区の共同スーパーは頓挫した。しかし、自宅で精肉店を再開した吉田さんをはじめ人々は屈してはいない。災害に強い家並みが整うとともに、公園に面して新しい商店も並び、菅原市場以来のうまくて安い惣菜も手軽に食べられる。来年春には退かれる皇后陛下の心を伝え「すがはらすいせんすいせん公園」は、地元の人々の手で美しく保たれている。この公園の碑が、寅さんや山田監督のファンら人を呼ぶきっかけになればと思った。 (文・写真 小泉 清) ⇒トップページへ |