早坂高原のカタクリ 岩手県岩泉町 ![]() |
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2016年8月末の台風で大きな被害を受けた岩手県岩泉町を訪ねた。盛岡からの西側入り口は、城下と三陸沿岸の小本(おもと)を結ぶ小本街道の最大の難所だった早坂峠。標高919mの早坂高原ではシラカバ、ブナなどの落葉樹林の足元でカタクリやキクザキイチゲなど春の花々が咲き広がっていた。 小本街道 難所の峠に雪解けの賑わい![]() 積雪期は閉められ5月に再開されたばかりのビジターセンター前には、「南部牛追い唄発祥の地」記念碑が建てられている。岩泉方面から塩・魚・鉄など、盛岡方面から米やワラ製品などが牛で運ばれた歴史を伝えている。 ここで事前に依頼していた岩泉町観光ガイドの泉山博直さん(73)と同町観光協会の若手女性職員と落ちあって、高原の植物を中心に教えてもらった。セラピーロードという散策路があり、3歳と1歳の姉妹の孫を連れて歩ける緩やかな道だ。そのあたりに今一面に広がっているのがカタクリの花。うつむき加減に紅紫の花を開く姿は、関西の山でもおなじみで、4月20日に大和葛城山頂近くで見た。でも、これだけ群生地として高密度で広がっているのには驚いた。日陰にはまだ雪が残っており、黄金週間前にはもっと積もっていたという。雪解けを待って、どっと花が開いたのだろう。 ![]() さすがに根を片栗粉にすることはなくなったが、若葉は料理によく使われるという。雑草がはびこると成育できなるので、6月の終わりごろには岩泉町全域のボランティアが草刈りをして生息環境を守っている。 ◇キクザキイチゲ多彩、ヒメギフチョウ舞う ![]() 黄と黒のだんだら模様の鮮やかなチョウがカタクリに飛んできて、あまり人目を気にせず蜜を吸っている。ウスバサイシンの葉の裏に産み付けられた卵がかえり、幼虫がその葉を食べて成長し、羽化したのだ。ウスバサイシンの減少でなかなか見られなくなったヒメギフチョウ2羽と出会えたのは幸いだった。 ◇大切にされてきたシナノキの巨木 ![]() 樹皮に油分が多いのでお盆の灯火に使われるダケカンバなど他の落葉広葉樹もだが、シナノキは人々にかかわりの大きい木だ。こちらでは「マタギの木」と呼ばれていた。こっそり猟で森に入るマタギが「この木の皮をはぐために森に行く」といっていたことが名前の由来という。 泉山さんは「私が子供のころは、シナノキの樹皮で編んだ蓑を使っていました。時期や場所を選んで採取し、技巧のいる伝承の技だったんですが、今では作り手が途絶えてしまいました」と残念そうに話した。(町中心部のうれいら商店街の工芸店でシナノキ製の蓑がかけてあったが、「もう作る人がいないので、展示品として一つだけ置いています」とのことだった。)戦後、樹林を切り開いて放牧地にした際も、ブナは伐採してもシナノキは切らなかったそうだ。 ◇夏は放牧の短角牛が草食む姿 泉山さんは子供たちに楽しみながら自然環境の働きを教える「こどもエコクラブ」の結成に当初から参加、自らも植物の名やしくみを学びながら、20年以上地元の子供たちを指導し、「いずじい」と親しまれてきた。「マタギの木」など地元独特の植物の名が使われなくなり、消えようとしています。人と人間のかかわりが込められている名が多いので記録して残していきたいと思っています」と話していた。 ![]() 早坂峠越えの道は狭くて急カーブが続くというので、少し盛岡側に戻って2007年に開通した早坂トンネル(3115m)を通った。廃校を活用した「道の駅 三田貝分校」の給食室で「短角牛入りカレー」の昼食、台風被害を乗り越えて3月に再開した国天然記念物の鍾乳洞「龍泉洞」に向かった。 (文・写真 小泉 清) |