・花期 2月下旬~4月初旬
・交通案内 神戸市営地下鉄西神線新神戸駅から徒歩。下山路は阪急王子公園駅などへ
・電話 摩耶山天上寺(078・861・2684)、神戸市役所(078・331・8181)
=2015年3月8日取材=
古くから信仰の山として庶民の参詣が続いた六甲山系の摩耶山(702m)。前日の雨が上がり青空の広がった3月の初旬、南西から山頂に通じる地蔵谷をさかのぼると、自生のヤブツバキの樹林が続き、つややかな濃い緑の葉の間に散りばめられた真紅の花が、早春の陽射しを受けて輝いていた。
庶民信仰の母なる山に早春の息吹き
新神戸駅からスタート、藤原定家ら数多くの歌人が詠んだ布引の滝を眺めながら進む。布引貯水池を過ぎたあたりからアベマキ、コナラなどの落葉広葉樹林が続き、山に入った雰囲気が出てくる。出発から1時間、尾根道としてよく使われる天狗道を右手に見送り、北へ直進するトゥエンティクロスへの道と別れて地蔵谷に入る。摩耶山から流れるこの谷はところどころに小滝をかける。沢沿いに小道が続くが、飛び石伝いに流れを渡るところもあり、変化があって登行をあきさせない。ほとんどの人は尾根道をとるため出あう人はわずか、表六甲の中で深い谷の雰囲気を静かに味わえるところだ。
◇小滝かける沢に深紅のきらめき
この谷を彩るのがヤブツバキ。出合の手前に枝ぶりの良い木が続き、朝の陽光を浴びた花々が迎えてくれる。谷を進むにつれて、花は岩や枯葉の上に落椿となって散っている。周囲を見上げると、確かに灰白色のヤブツバキの木の幹が続いているが、花はほとんど見当たらない。例年だと2月末から開花するとはいえ、落椿の数からもまだわずかのようだ。花期の長いツバキは韓国では「冬柏(トンベク)」、ヨーロッパでは「冬のバラ」と呼ばれ、南紀などの暖地では年末ごろから咲いている。しかし、ここ六甲山系ではツバキは、「椿」の国字のとおり3月を過ぎてから本格的に咲き始める「春の花木」のようだ。
「花はまだ早いのか」と思いながら出合から1時間ほど谷を進むと、他の沢が合流して明るく開けた標高600mあたりの地点で、見事なヤブツバキの高木が目に飛び込んでくる。根元で二つの株に分かれ、さらに幹分かれして春の青空に枝を伸ばしている。日当たりのいいところから咲くのか、花は高い枝先にしかないが、小さくても鮮やかに浮かび上がって見える。京都の名庭の色合い豊かな園芸種もいいが、自然の中で育ったヤブツバキの真紅の花は、飾り気のないすっきりした美しさがある。近くにワインレッドを帯びたアセビの白い花もまだ少し残っていた。
◇山岳修業も女人参詣も 幅広い形が自然守る
谷沿いの道は、間もなく尾根に上がって天狗道に合流する。ここからはハイカーや観光客でにぎやかになる。この日は兵庫県勤労者山岳連盟主催の六甲全山縦走大会の参加者が次々と通っていた。メインルートから離れた目立たない場所に「三等三角点」と書かれた摩耶山頂があり、「山に住む天狗が行者に封じ込められた」とも伝えられる天狗岩が座る。7世紀に法道仙人が開いたと伝えられる摩耶山天上寺と溶け合う形で、この山域が修験道場となっていたことがうかがえる。
山頂の北に再建された摩耶山天上寺を訪ねた。6月のヤマボウシ、7月のサラが有名な「花の寺」も今は色合いが乏しいが、それでも参道にはミツマタが黄色い蜂の巣のような花を開いていた。「天狗はすぐれた修行者を指す良い意味もありました。摩耶山と再度山を結ぶ最短ルートでもある天狗道はその名の通り修行の場でもあり、ツバキをはじめ自然の樹林が保たれてきたのでしょう」。寺の歴史や里の人々とのつながりについて、伊藤浄真副貫首(62)に話をうかがった。山岳修業の寺でありながら、開創以来一度も女人禁制をしなかったことが興味深い。
摩耶山天上寺の「摩耶」は釈迦の生母の摩耶夫人のこと。弘法大師が法道仙人の事蹟に依って、唐から持ち帰った摩耶夫人像を納めて寺を再興したと伝えられ、安産などを願う女性の信仰を集めてきた。「開創の歴史やご本尊によるだけでなく、摩耶山はその前から生命を育む母なる山だったのでしょう。特に、布引をはじめ麓に流れ落ちる三つの川の水源となっていることで、六甲山系の中でも特別の山として見られてきたのでしょう」と浄真さんはいう。
農耕馬を使う農家の人が摩耶を馬屋(まや)と読み替えて信仰、京都の丹波方面から連れ立って参拝する人もいた。旧暦2月の初午の日に馬を連れて天上寺に参拝し、花かんざしで飾って馬の息災を祈願する「摩耶詣」が行われ、里とのかかわりが強かった摩耶山。高過ぎず低過ぎずと感じるこの山には多様な自然にひかれて幅広い形で信仰が集まり、それがまた行き過ぎた開発を防いだのだろう。戦後、農耕に馬が使われなくなって「摩耶詣」は廃れたが、近年、六甲山牧場の馬が参加する「摩耶詣祭 摩耶山春山開き」に形を替えて3月下旬に行われている。
◇堂塔焼き尽くした大火の跡にハクモクレン開花
下りは南南東に参詣道をとる。山頂から少し下りると、奥の院跡に続き、1976年1月に放火で炎上した天上寺の旧境内が神戸市の史跡公園となっている。本堂や多宝塔など14塔も、今は礎石が残るだけだ。旧境内を通って鐘楼や護摩堂などポイントごとに新しい名称板や説明板がある。昨年末に市が設置したばかりのようで、焼失前の写真も添えられていてわかりやすい。
基壇跡の脇で、立派な枝ぶりのハクモクレン(白木蓮)が少しずつつぼみを膨らませていた。「お寺がここにあった時から、この木は毎年春に白い花を咲かせていました」と浄真さん。大火のため境内の多くの木々が焼け伐採しなければならなかったが、火災の真中にあっても花をつけたこのモクレンの木には生命の力強さを感じて残したという。
さらに急な石段を下ると、西側に入った旧塔頭の跡に、びっくりするほど大きな杉の木がある。幹周り8mで樹齢千年とされ、「大杉大名神」「大杉さん」と敬われ親しまれてきたが、火災の影響で枯死したそうだ。「旧天上寺の焼失で自分の役割が終えるのを知ったかのようでした。切株だけ残して展示するという話もあったのですが、切り倒す気にはなれませんでした」。新しい芽や葉は出ていないが、幹はしっかりしていて腐食しているようには見えず、今も生気を感じさせる。「勤め先の尼崎の浜手からも見えます。六甲山系の主のような存在感のある木ですね」と地元の登山者は話していた。
旧境内の一番下には大火での焼失を免れた仁王門がある。昨年夏には倒壊の危険があるということで通行禁止となり、山腹に迂回路がつけられていたが、現在はまだ工事中とはいえ通れるようになった。本堂上に白山、熊野、愛宕の権現三社を祀った三権神社、秀吉とゆかりのある稲荷明神社がある。階段脇などには寄進元なのか兵庫信徳講などと刻まれた石柱も建てられている。明治時代に商売人らが資金を融通しあう実利と参拝による親睦を兼ねて結成した頼母子講らしく、摩耶信仰登山の裾野の広がりがうかがえる。焼失は残念だが、かつての摩耶山天上寺の隆盛を偲べるように、保全・整備が進められていることは良かった。
◇港見下ろす深山…常緑広葉樹の森
山門下で道が分かれ、今回は東側の尾根を下る上野道をとる。西側の谷沿いを下る青谷道、現在はあまり使われていない旧摩耶道など南面だけでもさまざまな参詣道がある。摩耶山を取り巻く摩耶古道は自然と歴史に身近に触れられるコースとして着目され、3年前から兵庫県の主催で春、秋の2回、摩耶古道ウォークが開かれ、自然観察と歴史散策に分かれて歩く。浄真さんも毎回歴史散策ガイドとして説明に当たっている。
アカガシやスダジイ、ウラジロガシなどの常緑広葉樹が繁り、深山の雰囲気で大都会の背山にいることを忘れてしまう。ヤブツバキの木も混じり、海からの陽射しを受けて開花が進んできている。珍しくはない花なのだが、このヤブツバキの真紅の花を見ると心が揺り動かされる。冬と春をつなぐ花のためなのか、東アジアから東南アジアに広がる照葉樹林帯を代表する花として、古い森への記憶が呼び起こされるからなのか。目前に広がる神戸の街と海を見下ろしながら、早春の木々から新たな息吹きを分けてもらったような気がして街に下りた。
(文・写真 小泉 清)
★ ぽっくりと馬が春の幸運ぶ摩耶詣祭 2015.03.28取材
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