上山高原〜扇山の紅葉、ススキ 兵庫県新温泉町 ![]() |
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但馬の奥深く、兵庫・鳥取県境を越えて立つ扇ノ山(おうぎのせん、1309m)。浜坂(現・新温泉町浜坂)生まれの登山家・加藤文太郎が何度となく登り、「兵庫立山」と名付けて愛した山だ。その北東側の山麓の村からススキの広がる上山高原を通って頂へと山道をたどった。里から山へ高度を上げるに連れて、ミズナラ、ブナ、カエデなど多彩な広葉樹林が紅葉の深まりを見せ、リンドウなどの花と合わせて多彩な秋を1日で味わえた。 加藤文太郎「古里の山」に色とりどりの秋鳥取へ向かう国道9号線から南に折れて青下(あおげ)の集落に着き、青下天満宮前の駐車場に車を停めさせてもらった。現在、兵庫県側からの扇ノ山への登山者の大半は、北側の海上(うみがみ)の集落から林道を車で上山高原、または小ズッコ登山口までさらに上がって往復する人が大半とのことだったが、やはり山は里から歩いて登りたい。小雨混じりの天気の中、むら外れの登り口から上山高原に上がる「牛道」をたどる。青下集落の小畑重忠さんによると「50年ほど前までは、どの家でも牛を飼い、エサに使うススキを採りに上山高原に上がっていました。子供のころは稲刈りなどの農繁期には、この道を使って牛を高原に連れていったものです」。青下からの山道が「牛道」と呼ばれるわけだ。 ![]() 標高700mほどになると傾斜が緩やかになって「旧草原界」と書かれた案内板があった。今は笹やかん木が繁っていているが、小畑さんら里の人が牛を連れていったころは、このあたりまで草原が広がっていたのだろう。ススキがエサとしての役割を失って草原の火入れなど管理が途絶えたため、笹などがはびこってきたという。「エコミュージアム」ではこうした場所をススキ草原に復元する活動を続けている。 あと少し歩き標高800mくらいになると、さすがにかん木もなくなって広いススキの草原が広がり、銀穂が秋風になびいている。但馬から因幡(鳥取県東部)にかけての周囲の山々の紅葉が深まってきている。小雨もやんで、ススキと紅葉を合わせて見ていると心も広々となってくる。 ![]() ◇県境尾根に続くブナ林、東稜には原生林も ほどなく山道は海上の集落から上がる林道と合流、扇ノ山頂への尾根に取り付く小ズッコ小屋登山口まで、林道を30分ほど歩いた。車が入るので深山の趣はやや損なわれるが、南側の扇ノ山側には落葉広葉樹の樹林が続く。右手には紅葉に包まれたショウブ池があった。 標高1050mの登山口から小ズッコ小屋の横を通り南へ進むと兵庫・鳥取県境を通る尾根道となり、ブナ林が続く。このあたりのブナの黄葉は盛りを過ぎていたが、橙色に移っていく表情が楽しめた。カエデの色づきはまだまだ深まりそうだ。豪雪地だけに生えるアシュウスギの大木も何本かあり、その深い緑の葉に紅葉がよく映える。 ![]() 頂上手前の分岐点に戻り東の畑ケ平(はたがなる)へと尾根道を下った。この尾根にもブナ林が続くが、先ほどの小ズッコ小屋から山頂への県境尾根より幹周りも太く、二抱えはあって堂々とした印象だ。県境尾根はもともとあったブナ林を営林署が40〜50年前に伐採、その後、種から自生した二次林だが、この尾根のブナ林は原生林という。。カエデなどの紅葉が青空によく映え、気持ち良い下り道で1時間ほどで畑ケ平に着く。標高1000mくらいのこの地は名前のとおり平地で、戦後開拓され高地の気候を生かした野菜畑が広がっている。 ![]() ◇殿様の急いだ歴史の道、今も秘めかに 畑ケ平からしばらくは林道歩きだが、40分ほど歩くと上山高原へ向かう道が北に入っている。左馬殿道と呼ばれ、江戸時代に因幡・若桜城主が急ぎの時に使っていたといわれる歴史の道で、霧ケ滝の上流の沢を渡って上り下りする変化のある道だ。1時間ほど進むと沢を離れ、上山高原へ上りかえす山道となる。深山で木の椀などを作っていた木地師の小屋跡と墓の近くまで登るとブナ、ミズナラ、トチなどの広葉樹林が続き黄葉が青空に広がる。 扇ノ山の深さを感じさせるいい道なのだが、林道から左馬殿道に入るあたりは木の切りだしで新しい作業道がつけられ少しわかりにくい。この日は昨日の雨で作業車が入っている個所はぬかるんで歩きにくかったので、雨上がりの時は注意が必要だ。また、木地師の墓から上山高原までの最後の詰めの部分は、本来の左馬殿道のほかに山道が入っていて、赤テープを目印に進むと、予想以上に時間がかかり、上山高原からかなり西の小ズッコ登山口寄りの林道にたどりついた。 上山高原に戻ったのは扇ノ山山頂から3時間後の午後4時半。「秋の夕暮はつるべ落とし」なので青下への「牛道」を駆けるようにして下る。里に近づくと夕闇が迫り、急坂となってきたので慎重に足を運び、5時半に駐車場に下り立った。山頂からの周回コースは通る人が少ないだけに、深い扇ノ山の雰囲気と静けさを堪能できる。ただ、その分、「エコミュージアム」の人たちが手入れをしてくれてはいても、笹が繁るなどわかりにくい個所もある。この日は出発から8時間半の行程、特に秋のシーズンでは早立ちが欠かせないだろう。 扇ノ山の山名は、稜線と山すそが扇のように広がる山容がその由来という。兵庫県だけでも山麓の集落は青下、海上、岸田など七つを超える。本日のコースは広大な扇ノ山の山域の一部に過ぎないが、過去から未来へと続く里の人々と山との強いつながりを感じることができた。 (文・写真 小泉 清) ★ 牛と上がったススキの草原への道 ★ 記念図書館に今も生きる加藤文太郎 |