沢村・西村投手の故郷に球春 三重県伊勢市 |
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草創期のエースの背番号をつけた巨人・阪神ナインが倉田山公園野球場で対戦 |
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・交通案内 沢村・西村投手の胸像が並ぶ倉田山公園野球場には、近鉄・宇治山田駅から三重交通バス。または近鉄・五十鈴川駅から徒歩 沢村投手の墓のある一誉坊墓地、生家跡へは近鉄・宇治山田駅から徒歩 ・電話 伊勢市役所(0596・23・1111) =2014年3月10日取材= 伊勢神宮のお膝元で、かつては「神都」と呼ばれた伊勢は、草創期のプロ野球で投げ合った沢村栄治(巨人)、西村幸生(阪神)が生まれ育った故郷である。その伊勢の倉田山公園野球場で、読売巨人軍創設80周年記念のオープン戦が開かれ、全員が沢村投手の背番号14をつけた巨人と、西村の19番を背負った阪神が対戦。雪のため一時試合が中断する荒天の中、3時間を超す熱戦を繰り広げた。 プロ野球80年、戦火に消えた伝説の両雄偲ぶオープン戦とはいえ「伝統の一戦」、しかも伊勢での試合は65年ぶり。プレーボールは午後1時だが、近鉄五十鈴川駅からシャトルバスで正午前に球場へ着くと外野自由席もほとんど埋まっていた。試合前に内野入口に、「一球入魂」の碑をはさんで左右並んだ沢村、西村両投手の胸像を拝顔した。台座の側面に事蹟が刻まれている。沢村は17歳で日米対抗野球の全日本入り、草薙球場ではベーブルースら大リーガーを抑え、ゲーリッグの一発で惜敗した伝説の投手。快速球で巨人のエースとして活躍したが、三度目の招集を受けた1944年、フィリピン沖で戦死した。西村は1937-1939年に55勝、巨人戦に滅法強く阪神の連続年度優勝に貢献したが、3年で退団、1945年にフィリピンで戦死している。戦後「沢村賞」が設けられた沢村と比べ知名度はまだまだだが、1977年に野球殿堂入りしており、日本のプロ野球を築いた名投手であることは間違いない。試合前には両投手をしのぶセレモニーが行われ、両軍選手が「14」と「19」の背番号で整列。沢村投手の長女の酒井美緒さん(69)と西村投手の甥の西村隆明さん(70)が始球式を行った。川上・巨人のV9の主力投手だった中村稔さんも、沢村投手の遠縁で宇治山田商工出身というつながりで同席していた。 ◇14番背負ったルーキーが逆転満塁場外弾試合は巨人・宮国、阪神・鶴が先発。1回表に阪神が先制の1点を挙げたが、巨人はその裏にすかさず2点をあげ逆転。阪神は3回に1点を取って追いついたが、巨人は4回裏に1点とまた突き放す。阪神ファンが沸いたのは6回表。2アウトから梅野、緒方、大和の3連打で一挙4点をあげ3点差をつけた。6、7回裏は伊藤和、岩本が0点に抑え、「天気も良くなったし、このまま行きましょう」と私設応援団のリーダーの声も弾む。阪神ファンが陣取るレフトスタンドに座っていたので心情的には阪神に傾き、「これで勝てる」と思ったが8回裏に暗転。新人の山本が連打と四球で無死満塁としたところで、巨人の新人・小林が逆転満塁ホームラン。しかもレフトスタンドを悠々と飛び越える場外弾で、「参りました」というしかない見事な一撃だった。阪神は巨人を上回る14安打を放ちながら、6-7で敗れオープン戦7連敗。新人のテストや調整がオープン戦とはいえ、沢村の14番を背負った巨人選手の「この試合は負けられない」という気持ちが勝っていた。 この日は春は名のみの冷え込みが続き、風も強かった。私も着込んだうえに携帯カイロを手に観戦していたが、4回裏の巨人の攻撃中に雪が激しく降って中断。引き揚げる観客もいて継続も心配になったが、幸い10分ほどで降雪は止み、試合再開となった。その後、一時晴れ間がのぞくことはあったが、全体としては寒さに震えながらの観戦。それでも、試合内容は熱く、途中で席を立つ気にはならなかった。 ◇宇治山田駅近辺に墓と生家跡訪ねる試合終了後またシャトルバスで近鉄五十鈴川駅に戻り、次の宇治山田駅で下りる。沢村投手が眠る一誉坊(いっちょぼ)墓地の場所を観光案内所で確かめ、勢田川の錦水橋裏手の墓地を訪ねる。思ったより広く、夕闇が迫っていたので墓碑が探せるか不安がよぎったが、少し奥へ進むと、見間違えようのない形の墓碑が…。縫い目も鮮やかな大きな野球ボールにGと14の文字が刻まれている。碑には澤村榮治墓とあり、「大正六年二月一日生 昭和十九年十二月二日戦死 行年二十七才」と記されている。「無事帰還してリハビリができて球界に復帰していたら」と思ってしまう。駅の方に戻ると、道路向かい側に「澤村榮治生誕の街 明倫商店街」と白球をあしらった看板が目に付いたので、アーケードを通ってみる。半分くらいが空き店舗になったシャッター商店街なのが残念だが、左に折れると駐車場の一角に「澤村榮治生家の跡」の碑が建ち、青果商を営んでいた木造2階の生家と投球している沢村の写真がフェンスに掛けてあった。 碑は地元の「澤村榮治顕彰会」が2011年に建てたという。生家跡を教えてもらってありがたいが、大投手・沢村のイメージと薄暗い商店街の現状がちょっと結びつかない。伊勢が沢村、西村両投手を生み育てたのは決して偶然でなく、「神都」だけではとらえられないない豊かな町の力があったのではないだろうか。並の地方都市ではない伊勢の駅前で、内宮への参詣者や観光客も通るところだけに「澤村榮治生誕の街」を生かした街並みが育っていけばと願った。 (文・写真 小泉 清) |
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