七々頭ケ岳のササユリ  滋賀県長浜市       

・花期
5月下旬〜6月上旬

・交通  JR北陸線木ノ本駅から余呉バス丹生線で上丹生下車

・電話  奥びわ湖観光協会(0749・82・5909)

   
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 =2013年6月9日取材


落葉広葉樹の足元で咲き始めたササユリの白い花と淡紅色を帯びたつぼみ
 
 
  琵琶湖に注ぐ淀川源流・高時川沿いからくっきりとした山容を見せ、上丹生(かみにゅう)、菅並の集落から観音参りの道が上がる七々頭岳(ななずがだけ)=693m。ブナやミズナラの緑がまぶしい落葉広葉樹林の足元には、ササユリが白い清楚な花を一輪、二輪とつけ始めていた。

    観音信仰の山道 清楚に一輪、二輪

 滋賀県長浜市余呉町の上丹生の集落から街道を北へ進む。2005年に廃校になった丹生小学校の横を通り、道沿いのウノハナを見ながら15分ほど歩くと「七々頭岳観音参道」と刻まれた石柱が立つ登り口に着く。しばらくスギ、ヒノキの植林が続くが、すぐに急坂となって自然林の足元にコアジサイの小さな花が咲いている。アジサイの中でも装飾花のない地味な種だが、落ち着いた色合いの花、すっきりとした表情の葉が魅力的だ。

 一時間ほどで標高400m弱の尾根に出て一息つくと、ササのような葉の上に一輪、二輪とササユリの花が見えた。ほとんどが真っ白な花だが、薄紅色を帯びた花もある。赤みを含んだつぼみがところどころにあり、この山ではこれから次々と開花していくようだ。林の日当たりが悪くなったり、心ない人の採取などでササユリがあまり見られなくなったとよくいわれるが、この湖北の山で自生地が保たれているのは嬉しい。観音道ということで里の人が道沿いの手入れを程良くしていることが、生息に良い条件を保っているのかもしれない。


 ◇ブナの大木見上げる湖北の深山

 道沿いには明るい色のヤマツツジが続いており、花びらのように見えるヤマボウシの純白な苞が濃い緑の葉の中に浮かび上がる。尾根道を進むと南西に摺墨(するすみ)の集落が見えてくる。宇治川の先陣争いで梶原景季が乗った名馬・摺墨を産出した伝承のあるむらだ。再び登り坂となって高度を500m、600mと稼いでいくとブナの幹も太くなってきて、湖北の深山の趣が増していく。ブナの大木を見上げて急坂を超えると、道は一挙になだらかになり、広場のようになった山頂に飛び出す。登り口から休憩1回をはさんで2時間、丁度よい登り心地だ。

 山頂には西林寺のお堂があり、七々頭観音が年二回だけ御開帳される。周囲は木立に囲まれていて眺めはいま一つだが、西側は展望を確保するためか杉が何本か切られていて、木々の間から余呉湖、さらに琵琶湖が見える。七々頭ケ岳とはユニークな山名だが、上丹生、菅並、摺墨(すりずみ)からせり上がる七つの尾根を集めた頂という意味だという。その名の通り頂上からは尾根が広がり、標高以上に存在感のある山だ。ただ、頂上の西側直下にある瑠璃(るり)池は、その美しい名と「膚にできものができた舞手の乙女が頂の観音様に祈願し、お告げで清水で清めると膚がきれいになった」という伝説にひかれて急坂を下りたが、水たまりがあるだけでがっかり。「瑠璃池の水がすっかり減ってきたと古老の方が言われていました」と下山後に聞いたので、あながち「誇大表示」ではないようだ。

 ◇急坂を駆け降り菅並の集落に

  菅並への下り道は、お堂の裏手から北東に向かう尾根道をたどる。北寄りへの尾根道もあり、道標があるのでこちらを取ると道が消えて植林地に迷い込んでしまうので間違えないよう要注意だ。正しいルートは、高時川東岸の横山岳(1137m)などの山並みを見ながら広葉樹林の間を抜っていく快適な道。ササユリは見られなかったが、ヤマツツジ、ヤマボウシ、コアジサイは再び楽しめる。ただ、終盤の植林地に入ると急な下り坂が予想外の難関、手で枝をつかんだりして慎重に下りる。下り始めて1時間で、「七々頭観世音参道」と書かれた手作りの木の看板が掛けられた菅波側の登山口に下り立った。

 ここから3キロほど北の上流域に丹生ダムが計画され、水没地域とされた鷲見など4集落が1996年までに廃村となった。ここ数年のダム見直しで、丹生ダムは建設が一層不透明になっているが、ここ菅並は予定地手前の集落。高時川沿いと七々ケ岳の間の谷あいに田畑が広がり、60戸ほどの家並みがある。上丹生よりさらに北で雪が多いためか、屋根もより急勾配の典型的な余呉型民家が目立つ。バス停の場所を教えてもらった年配の女性は「この年になると足も弱って山にはよう上がれませんが、里で拝ませてもらってます」と話していた。


 ◇「ななすさん」とつながる茶わん祭の里

 菅並から上丹生までコミュニティバスで戻って、「茶わん祭の館」を見学した。地名の通り丹生は良質の赤い陶土を産出し、古くから陶工が住み着いて陶器づくりが行われ、技能と土を授けた神に感謝するための祭りは、記録の残る文禄(16世紀末)以前にさかのぼるという。陶器を使って物語を表現した山飾りが祭の華で、お練りや稚児の舞は中世の古い様式を伝えて滋賀県の無形民俗文化財に指定されている。人口減と高齢化が進む中でも、この祭りは3−5年おきに行われ、2014年5月4日に開かれることが決まっている。多くのむらが支えきれれずに伝統の祭りが消えてしまう中で注目すべきことだ。

 ◇子の成長の願い込め「成子まいり」

  茶わん祭の館では、山飾りを含め高さ10mを超す曳山のレプリカ、行列や舞で使う衣装や楽器を展示し、祭りの世界に触れられる。ほかにも、丹生ダム建設計画で移転した集落の民家の建材を使って余呉型民家の内部を復元、雪深い山あいのむらで営まれてきた暮らしを紹介している。

 館員の丹生道子さん(64)に、七々頭ケ岳と里の人のかかわりについてうかがった。「七々頭ケ岳は上丹生の正面から見え姿形も良く、『ななずさんに雪が三度降ったら里に雪が降る』と言われ、里と一体となった山です。毎年4月18日と11月3日には観音様が御開帳され、『ななずまいり』といって上丹生から山に登って参拝します。4月にはまだ雪が残っているので、当番の人を入れて少しですが、11月には家族そろって登る人もいて大勢がお参りします」という。ななずまいりの日の少し前には、区長の指示で5、6人が上がって草刈りを行う。

 さらに「11月3日には、この1年に生まれた子供を連れて登る『成子(なるこ)まいり』も行われていて、33年前には私も2月に生まれた長男を連れて夫と登りました。家でつくったぼた餅とお酒をお供えとして担いで上がり、他のお参りの人に分けられました」。その長男は今は上丹生を離れているが、茶わん祭りには「25歳から35歳の長男」と決められている神輿かきの任を果たすため、必ず帰郷するという。

  ◇山の恵みに感謝、正月2日の「山まいり」


 里と山のかかわりでは、正月2日に行われてきた「山まいり」についても説明してもらった。二つの石を縄でくくったものを家の男の人数分作って、持ち山や山仕事で入る山の木の枝に掛けて山に供える習わしで、山に入った時に履物につけて持ち帰った石や砂を山に返す意味があるそうだ。丹生さんの婚家は林業や炭焼きなど山で生計をたてる家ではなかったが、「山菜採りなどで里の誰もが山の恵みを受けているのだから」と10年ほど前まで裏山で「山まいり」を続けていたという。

 長浜市の「茶わん祭の館」は、「丹生茶わん祭保存会」が管理・運営している。展示だけでなく、丹生さんら上丹生の女性二人が交代で在館、暮らしに根付いた解説をしてくれ、茶わん祭をはじめ、地域で受け継いできた宝を広く伝えたいという志が感じられる。開館は原則土・日だけだが、七々頭ケ岳から下山後に立ち寄れば、より充実した山行になるだろう。 

                                  (文・写真 小泉 清

 [参考図書]
   丹生茶わん祭保存会編「丹生の茶わん祭」 2002、 「茶わん祭の館」で販売