5月9日に峠まで上がった中河内(滋賀県長浜市余呉町)から池河内(福井県敦賀市)への道をふたたびたどった。登り口手前の家の前にいた人々にあいさつすると、「
熊よけの鈴は付けましたか」「お気をつけて」 と声をかけてもらい、気を引き締めながら山に入る。
国境の峠越えると湿原植物の宝庫
山道のユキツバキ、ユキバタツバキはほとんど落花していたが、一本に二、三輪は残っていた。峠を越えて敦賀市に入ると藪が繁ってきて歩きにくくなるが、40分ほどで小川が流れる窪地に下りる。フジの大木が3本あり、鮮やかなフジが垂れている。タニウツギも薄紅色の花をたわわにつけている。川の流れに添ってはシャガの花が涼しげに咲き、晩春から初夏にかけての花が勢ぞろいしている模様だ。
小道はところどころ消えているが、流れに添って南西へ進むと、中河内の集落が見えてきた。空き家となった家もあるが、10件ほどが残って暮らしが営まれている。中河内ほどではないが、敦賀きっての豪雪地とあって急勾配の屋根のしっかりしたつくりの民家だ。
◇分校舎消えても、農の営みは続く
白い日本犬が昼前の陽射しを受けて気持ち良さそうに寝ている家の前を通って空き地の方に行くと、年配の女性が歩いていたので「この冬は雪はどうでしたか」と尋ねると「今年は雪が少なくて、雪下ろしもせずに済んだんで楽やった」とのことだった。「昔に比べると除雪が進んで敦賀の街中にも行きやすくなった。そうはいっても、朝早くは雪が積もったままで通勤できないと、若いもんは街に移るので年取ったもんだけが残ってる。昔は小学校の分教場もあったけど…」。この空き地は分校舎が取り壊された跡という。
「自分たちで食べるためにナスやキュウリをつくっている。今は外へ出してないが、よそのナスとは味が違うと言われていた」そうだ。標高400mの地の空気と笙川の源流の水のたまものなのだろう。「中河内から峠を越えてきました」というと「こちらからは中河内には行ったことはないけど、向こうの人はここを通って敦賀の街へ行っていた。行き来も途絶えて道も荒れてたが、最近町の人が歩くようになって、5月12日の日曜日に大勢の人がバスに乗って来ていた」と教えてもらった。
◇南限になる寒冷地の山地の種も
集落を出ると、池河内湿地に出る。東側から西へ木道を進むと、カキツバタが広がっている。花が咲いている株はごく一部だが、紫一色で白いラインの斑が入ったものだ。奥深い地にたたずむだけに高貴な気品を感じさせる。カキツバタの足元に咲き、葉に隠れてそう目立たないが、小さな黄色い花が穂状というより球状に集まっているのがヤナギトラノオ。亜寒帯の北海道や東北地方の山地の湿原に見られ、ここが自生地の南限という貴重な植物という。黄色い花でもサワオグルマは背丈が80cm位まで伸びるのでよく目立つ。
木道を西端近くまで進んで南に折れると、湿地の周囲を巡る遊歩道に出た。遊歩道は少しずつ高度を上げていって汗ばんでくるが、オオカメノキの白い花が続いていて涼しげだ。出発地点に戻り、湿地の北側を回る車道に沿って車道を歩く。もともと水田だったところは廃田となり湿地に戻ってきている。
池河内は柳ケ瀬断層から派生した南北に走る断層と西北西ー東南東方向に走る断層が交差し、両断層の内側の地盤が沈下してできた盆地で、幾筋もの小川が流入して扇状地が形成された。阿原ケ池を中心とした池河内湿原と周辺の111haが福井県の自然環境保全地域に指定されている。敦賀の湿地でも市街地により近い中池見湿地と違って、ビジターセンターなどはなく、洗面所に案内図が張ってあるだけだ。しかし、静かに自然と奥深い里の雰囲気を味わえるにはいい場所だ。入口に車を止めて山菜取りに少し奥に入った人が「熊の糞がありました」と帰ってきた。
◇かつては最上級生の通学路、藪漕ぎで進む
さらに、池河内から西へ谷口の集落へ向かう道をたどった。峠のようなところまでは道がはきりしていて快適に歩けるかと思ったが、西谷川に沿った谷道を下ろうとすると、道が藪の中に埋もれてしまっている。しばらく藪漕ぎをして進み、あとは谷伝いに下る。南側から支谷が合流するあたりから道が復活して、谷にかかる小滝を見ながら快適に歩けた。
北陸線がすぐ前を横切る谷口の集落に到着。自宅前にいた大正15年生まれの男性に「中河内から池河内を通って下りてきました」と言うと、「今は木がふさいで通れなくなった道をよう通ってきた」と感心してもらった。昔はこの道を使って池河内あたりで猟をしていたという。池河内に分校があったころは、分校の児童は6年生になると、さらに先の本校の咸新小学校に通学したそうだ。冬は本校近くの寄宿舎から通ったという。
ここまで来れば後は平地。途中、中見池湿地に立ち寄って市街地に入り、午後5時ごろに敦賀駅に着いた。両湿地でゆっくり観察時間をとったので実際の歩行時間は4時間くらい。それでも、ここからまた中河内に帰るとなると、とてもではない。しっかりした道がついていた昔でも、上り下りがある道を荷を担いで一日で往復するのは並大抵ではないだろう。半世紀ほど前の人の脚力に敬服しながらリュックを下ろした
(文・写真 小泉 清)
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