暦の上では春になっても寒の戻りが入る時季には、なぜかツバキの名木を訪ねたくなる。大阪府の天然記念物の木が和泉市にあることを思い起こし、ニュータウンのはざまに泉州の農村風景が残る春木に向かうと、社の裏庭の古木に有楽椿(うらくつばき)ならではの薄紅色の花が開き、樹下の苔の上に落椿が広がっていた。
冬から春へ 300年を咲き継ぐ
岸和田の春木と区別して「山春木」と呼ばれる和泉市春木地区。街道から少し西へ入った春日神社の鳥居をくぐり参道を進めば、社務所の正面にマキ(槇)の高木が立っている。この木も大阪府の天然記念物で樹齢250年とされる名木だが、ツバキの場所はすぐにわからない。案内の矢印を見て裏に回ると、苔に覆われた小さな裏庭があってその奥にツバキが立っていた。和泉市教委の説明板では樹高8mで樹周1・5m、ツバキとしては大木だろう。灰白色の幹は五本、六本と幹分かれし、身をねじるような曲線を描いて、力強いだけでなくちょっとなまめかしさも感じさせる。
花びらは薄紅色で葉の色も浅く、真紅の花と深い緑の葉のヤブツバキとは違った明るさがある。苔の上に広がる落椿を手に取ると、開き切った花弁は直径8cmと意外に大きく、黄金色の花芯がコケの深い緑によく映える。説明板には「園芸種とみられる」と書かれているだけだが、これは織田信長の弟で茶人として知られる織田有楽斎(うらくさい)が好んだ「有楽椿」に違いない。
一斉に咲き誇るのではなく、冬から春へ季節が進む中で一つ一つ咲いては散り落ちていく。平日には訪れる人も少なく、ひと気を気にすることなく裏庭で一人たたずめる。静けさの中にぽつ、ぽつっといった音がして目を向けると、ツバキが一輪落ちていた。
◇兵火生き抜いた地、生命力のシンボルに
禰宜の石倉哲之(のりゆき)さん(39)に尋ねると、樹木医の鑑定では樹齢は300年くらいで有楽系のツバキとのことだが、いつ、どうして植えられたかはわからないという。マキの木の脇にある神社の縁起書では、両木とも「天正年間に信長の兵火を受けたが、翌春には新芽を出したという伝説から不老・延命の神木とされる」と書かれている。
社伝では、平安時代にこの地を荘園「春木庄(はるきのしょう)」とした藤原氏が常陸の鹿島から来た神を勧請して春日神社を創建したとされるが、もともと物部氏の物部布留神社があったともいわれ、歴史はもっとさかのぼりそうだ。明治の神仏分離まで境内には宗福寺という寺もあり、唐から帰国した空海がここで一冬を過ごした伝承があって、地域での社の存在感は大きかったのだろう。
大坂と紀州を結ぶ和泉の地は港に近く熊野街道が通って、陸海とも人や物の動きが活発だった。戦国時代に信長の焼き討ちにあったのも、足利義昭、毛利氏、本願寺と組んだ雑賀衆、根来衆などの勢力と、和泉の土豪や農民の地元勢力が連合し、社寺を重要な拠点として強く抵抗したからだろう。このツバキやマキの木が430年以上前の信長の泉州攻めの時にあったかは、推定樹齢から見ると史実でないかもしれないし、あるいは先代の木が存在したのかもしれない。伝説であっても、この社を中心にまとまってきた春木の人々が、時代の激動の中で力強く生き抜いていった生命力のシンボルとして畏敬の念で木をとらえてきたとも思われる。
木の生命力は今の姿自体が物語る。マキは戦前の室戸台風や落雷で半身が裂ける被害を受け、トタン板で傷口を覆われながらも枯れずに生き続け、ツバキの方は風水害に折れることもなく花を咲き継いでいる。「おととし樹木医のすすめで枯れかけていた枝を切りすっきりさせました。まだまだ元気という診断を受けたので、ずっと大切にしていきたいです」と石倉さんは有楽を見上げながら話した。
◇健やかな成長祈った落椿の花輪
境内の裏手の小山は鎮守の森となってモチノキ、ヤブツバキなど照葉常緑樹の自然林が包んでいて、野鳥も多く生息している。春木からさらに南へ和歌山県境近くに入った父鬼(ちちおに)の山にはヤブツバキの木が多く、ツバキを使った白炭は茶道用の高級な炭として著名だったという。春木という地名と椿は直接関係はないそうだが、地域とツバキとの縁は深いようだ。
「春は落椿を首輪にして女の子が飾り、秋は男の子がマキの実を食べると病気もせず健康に育つ」と伝えられてきた。「マキの落ちた実は、そのままでもほんのり甘いのでよく食べていました。今の子供も教えると食べます」と石倉さん。一世代前の宮司の石倉敏之さん(62)は「私が子供のころは女の子が花びらにひもをつけてレイのように首にかけて遊んでいましたが、遊び道具が多くなったためか昭和30年代半ばころになると行われなくなりました。創建1200年を祝った昭和45年ごろ行事として一度復活しましたが、続きませんでした」。
織物業の低迷などで元の氏子の数は減り気味だが、周辺の丘陵地を造成したニュータウンから子供の健やかな成長を祈願して一家で訪れる新住民も多く、参拝者は増えているという。「ツバキの飾りのいわれを説明すると、苔の上の落椿をそっと手にとり持ち帰られる方もいます」と石倉宮司。300年の時を経て冬から春にかけて咲き継がれるツバキに触れると、何か生きる力を分けてもらうような気がするのは、昔も今も変らないのだろう。
(文・写真 小泉 清)
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