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金剛山の霧氷 大阪府千早赤阪村、奈良県御所市
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霧氷の木々が広がる金剛山頂北面。北に大和葛城山が連なる
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・時期 12月~3月
・交通案内 石ブテ尾根には近鉄長野線富田林駅から水越峠行き金剛バスで葛城登山口下車。土・日・祝日だけ運行、本数は少ない
・電話 千早赤阪村役場(0721・72・1447) 、御所市役所(0745・62・3001)
・注意 積雪期はアイゼン必携。ストックも持参した方が良い
=2013年2月17日取材=
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「この冬の間にもう一度霧氷を見たい」と、立春後の2月17日、大阪府最高峰の金剛山頂(1115m)に北側の石ブテ尾根から登った。久々の冷え込みで、尾根道の木々には、吹き上げる北西の風が形づくった霧氷の花が輝いていた。
春を急がず 静かな尾根に白銀の木々
河内と大和の水系を分ける水越峠の手前から大和川源流の一つ、石ブテ谷沿いの林道に。終点から谷を離れ、頂上へ向け北から南へ走る尾根に突き上げる登り道をたどった。標高差200mを一気に上がる急傾斜で、一昨日から降り続いた雪が積もっていて結構きつい。出発点から1時間ほど登り続けてようやく尾根道にとりついた。息は切れたが、寒さは吹っ飛んだ。
◇急坂の取り付き耐えれば自然林続く
尾根道になると比較的ゆるやかなこう配で、標高800mくらいの高度に来れば道や周囲のササも雪をすっぽりかぶり、まだ新しい雪の上を歩く感触も心地よい。木々の枝や幹は雪が包み、一部の枝のまわりには氷結した霧氷が現れ始めた。尾根の西側は杉、ヒノキが植林されているが、東側の丸滝谷側へはヤマツツジやコバノミツバツツジ、リョウブ、コナラなどの落葉広葉樹の自然林が続いている。ツツジ類は4月から5月にかけての花期以外は小さな地味なかん木だが、氷雪をまとうと華やかな表情に一変する。
東側の太尾の尾根道が合流する六道の辻を経て、尾根を歩いて1時間ほどで標高1094mの大日岳山頂に着いた。ここからは東側に吉野の山並み、西側に河内平野が遠望でき、尾根から斜面に広がる木々の枝は霧氷で白銀の輝きを見せている。
金剛山の霧氷は、大阪湾から吹き上げてきた湿り気を含んだ大気が氷化されないまま、霧粒となって北西の季節風に乗り、木の枝に吹き付けられ、凝固・氷化したという。広い山域でも南北に走り、自然林が残る石ブテ尾根から大日岳を経る稜線は最も霧氷ができやすいところなのだろう。ここに取り付けられた大きな温度計は正午前で零下0・5度だった。熱心に写真を撮影していた80歳の男性は「山頂の最低気温が零下7・8度と確かめ、今日は霧氷が見られると上がってきました」と話していた。風が強すぎても良くないそうだが、霧氷ができるには十分な冷え込みがあったようだ。
霧氷に加え、石ブテ尾根からの道がいいのは、静かな雪山の雰囲気を味わえたことだ。メインルートの千早本道が家族連れを中心ににぎわっているのに比べ、格段に人が少ない。水越峠行きのバスは満員だったが、多くの人は太尾か青崩道に向かい、石ブテ尾根で出会った登山者は2人だけだった。山に慣れ静けさが好きな人が選ぶのか、単独行の年配の男性だけだった。
◇葛城修験の再興めざす
大日岳から10分も歩くと、正午前に転法輪寺の上に着いた。千早本道やロープウェー客を合わせ、これまでの静かな稜線とは打って変わったにぎやかな世界だ。「平成二十三年十月 明治維新廃仏毀釈以来143年ぶりに ご本尊様や諸尊五尊がお帰りになられました」と案内板に書かれており、本堂に拝観した。この本堂も再建は昭和36年と廃仏毀釈の影響は大きかったようだ。葛城修験道の再興を目指す山伏の「司講(つかさこう)」も2年前に発足し、雪の中、白装束姿で修業していた。
山頂にある葛木神社から東へ少し下りたところに狭い範囲ながらブナ林がある。幹周りは2mくらいだが背丈は高い。枝先の霧氷が冬空に広がっている姿は、気持ちを凛と引き締めてくれる。北側には大和葛城山が連なり、寒気の影響からか水平線のような雲が上空を横切っている。
◇「郵便道」下り天孫降臨伝説の里へ
下り道は大和側からの金剛山の姿が見たくて、御所方面に最短距離で下る郵便道をたどった。金剛山を舞台に戦った楠正成が崇められた戦前・戦中期、全国から葛木神社に寄せられた手紙を届けるため郵便配達人が上り下りした道だ。距離が短い分傾斜はきつく、大事な手紙を抱えて登る配達人は大変だっただろう。
植林の中を雪が少しずつ減っていく道を下ると、高天谷の滝が見え、山頂から1時間半で麓の高天彦(たかまひこ)神社に着いた。天孫降臨の伝説が残り高天原(たかまがはら)ともされる高天の里。杉の大木が並ぶ参道の前には、「鶯宿梅(おうしゅくばい)」と呼ばれる古木の梅が立っていた。遅咲きだけにつぼみもまだまだ。金剛山の春は急がず、まだ冬の表情を見せてくれるようだ。
(文・写真 小泉 清)
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