今田のサギソウ 兵庫県篠山市 | ||||||||||
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篠山盆地の西端に位置する篠山市今田(こんだ)地区。丹波と播磨の境を区切る西光寺山(712m)をはじめ山麓には、豊かな生命が息づく湿地が残る。この夏の終わりに湿地を巡ると、今では自然の中でなかなか見られないサギソウが、緑の中で真っ白な花を浮かび上がらせていた。 山すその湧水が育む純白の舞いサギソウは今や環境省や兵庫県の絶滅危惧種に指定され、自生地が限られるため、1992年に発足した「篠山市サギソウ保存会」の見学会に参加させてもらった。玄関前で立杭焼の鉢植えにサギソウの花が開く篠山市役所今田支所近くに集合し、まず、三田との市境寄りの大川瀬ダム湖近くの釜屋の湿地に向かう。1993年に確認された広葉樹林に囲まれた自生地で、当時の今田町が所有者から借り受け、保護区としてフェンスをめぐらせて普段は立ち入りできない。この日は会長の谷口次男さん(74)がカギを外して中に入ると、山ふところの樹林から湧き出る流れが湿地をつくり、15〜40cmほどの高さのサギソウが、直径3cmくらいの小さな花を2、3個ずつつけている。花はいま200輪ほど、一面に白い花が広がるといった華やかさはないが、花びらの細かく切れ込んだ形がまさに白鷺が飛ぶ姿のようで、連舞のような躍動感がある。8月末になっても強い日差しが残る中、細い緑の葉の中に一つ二つと浮かび上がる純白の花は涼しげだ。 「ここは木の板を置かないと進めないほど、水の豊かな湿地でした」というが、一時は土地の乾燥化が進み、サギソウも10輪ほどしか見られなくなって消滅の危機にあったという。1991年までのダム建設工事でで周囲に道路が取り付けられ水脈が変化したためかとみられる。それでも保全を徹底し、会員がサギソウがまだ伸びてこない2月に草刈りを続けた効果があらわれ、ここ数年は回復してきたという。 ◇自生地は湿地植物の宝石箱、ハッチョウトンボも生息 サギソウの足元には、さらに小さい3ミリほどの耳かきのような黄色い花をつけるミミカキグサ、同じく小さい薄紫の花のホザキノミミカキグサなど湿地ならではの植物が広がる。上から見てもわからないが、地下茎に捕虫嚢網があり泥の中の微小生物を捕らえる食虫植物だ。ミズギボウシも薄紫の花をつけ始めていた。夏山でよく見るオオバギボウシと同じギボウシの仲間だが、葉はずっと細目で全体もスリムな印象だ。。生息地は湿地周辺に限られ、今田でもこの保護区にしか見られないという。6月に柿色花が咲くカキランは実をつけ、林床には保水力の豊かなミズゴケも多い。6月にはトキソウが薄紅のトキ色の花を咲かせ、ここは湿地植物の宝石箱となっている。 次に、西光寺山麓の本庄の集落の西はずれにある溜め池のまわりにも、サギソウが自生していた。溜め池といっても完全な人工の池ではなく、背後の小山から流れる伏流水がたまった湿地に掘られた池で、林から幾筋も小さな流れが出てきている。水面、周囲の山々、里の風景が広がる中で見るサギソウは格別だ。ここでもミミカキグサ、ホザキノミミカキグサの花が散りばめられためられたように広がり、ヒナノカンザシやムカゴニンジンが咲く。6月にはノハナショウブも見られる。清冽な湧き水の出る湿原に棲むハッチョウトンボ=クリックで写真=は今回はいなかったが、繁殖期の7月ごろには雌雄そろって飛んでいるそうだ。 「ここは一時背後の山が乱開発されて泥が入り込み、サギソウが育たなくなったこともありました。その後の泥の侵入を防ぐ対策を求めて回復しました」と前保存会長の上月格男さん(82)。こうした努力があってこそ守られてきたのだろう。盗掘のおそれや溜め池として管理・利用されていることから、自生地として周知されてはいないが、車で近づきやすい場所なので、一部には掘って持ち去る人もあるそうだ。ブラックバス釣りに来た人がサギソウの価値を知らずに群生地に踏み込むこともあるという。本当は、以前に一部つけられていたように木道や啓発用説明板を整備して踏み荒らしを防ぎ、管理者に迷惑をかけない形できちんとしたサギソウ観察地になれば望ましいとは思う。 ◇かつては今田町花、生かしたい貴重な資産 西光寺山をはじめ今田周辺の山は、流紋岩の平たい岩盤が粘土層と重なって斜めに走っているため、浸透した雨水が山すそで湧き水として流れ出やすいといい、ここから湿地ができて多くの生物の自生地となる。この地で生まれ育ち、ブドウ栽培をはじめ農業に携わってきた上月さんは「篠山盆地でも、今田は湿地が多く、サギソウをはじめきれいで豊かな水が必要な植物がよく育っていました。サギソウは50年くらい前までは、今田ではどこでも見られる花だったのです」と振り返る。「きれいな水と空気の中で育つサギソウが自生できる場所は、人にとってもいい環境なのです」。 その今田でも開発による湿地の減少と盗掘で現在、自生地が見られるのは案内してもらった2か所を含む4か所。溜め池から西へ進み、西光寺山の登山道に入ったところにも自生地がある。サギソウを町花にして地域振興の目玉とした今田町が1992年に観察地としてコンクリート製木橋などを整備、山あいの静かな雰囲気で自由にサギソウを見られる貴重な場所だった。ところが、関係者との調整がうまくいかず、ハイキングコース沿いに「サギソウ観察地」の案内板や標識が残っているものの、数年前から閉鎖状態となっている。 全国的に生物の宝庫としての湿地の価値が再認識され、愛媛県宇和島市や徳島県三好市のサギソウ自生地の湿原は県天然記念物に指定されている。1999年に今田町など4町が合併して生まれた篠山市で、サギソウを地域の活性化に生かす意欲が後退しているかのように思えるのは残念で、湿地を貴重な資産として保全・活用する姿勢を期待したいものだ。 ◇保護自生地の環境守り公開、自宅で増殖も それだけに、市民40人が参加する「篠山市サギソウ保存会」の役割は大きい。溜め池から今田支所近くにある人工の「サギソウ池」に戻り、会長の谷口さんに今後の活動予定などを尋ねた。「現在、保存会として活動できる自生地は釜屋だけなので、草刈りを続けてより良い環境を守っていきます。きょうの観察会は夏休み終盤の平日だったので親子連れの参加がありませんでしたが、来年からはサギソウの花期に一日だけでなくもう少し長く開放して、自由に観察してもらえるようにしたいですね」と話していた。篠山城近くで育った谷口さんは東京など各地で働いた会社を60歳で定年退職後故郷に戻り、写真撮影の中で篠山を中心とした植物の観察や記録を続け、保全活動に入っていった。おかげで、今回の観察会でもサギソウだけでない湿地植物について説明してもらえ、湿地の価値がよくわかった。 保存会の会員は自宅でサギソウを栽培・増殖している。観察会の後で女性メンバーが「家で育てているサギソウを見ませんか」と連れ合いに声をかけてくださったので、坂の上の御宅に寄せてもらった。「気兼ねなく鳥を飼いたい」という夫に引っ張られて大阪から篠山に移って25年。今は広い庭にキウイ、ムカゴ、シソなどをいっぱい栽培し、その一角でサギソウが育っている。球根から鉢植えに仕立てた株は、8月15、16日のデカンショ祭会場近くで展示・即売した。また、将来の自生地保全をめざして今田の自生地で採取した種子に限定した育成も行っている。砂粒のような種子をミゴケの上にまいて発芽したサギソウは、一冬をこして開花した。バイオ企業の研究者の協力で導入した種子の無菌培養も軌道に乗り、今年はこの方式を使った種子から発芽した芽が育っている。サギソウの栽培で実績のある植物園に研修ツアーに出かけたり、専門家の講演会を開くなど、栽培技術の向上も怠らない。 「サギソウは篠山に来るまで見たこともなく、保存会も友達の誘いで入りましたが、他の花にない姿に魅せられました」という女性は会の会計を担っている。「育てたサギソウが自生地の復元に役立てばいいし、鉢植えを買ってもらって多くの人に価値を知ってもらいたいですね」と話していた。 (文・写真 小泉 清) [参考図書] 谷口次男「篠山で見た植物」 2011 丹波自然友の会「丹波の自然」 1995 神戸新聞総合出版センター |