お市の方や三姉妹のドラマでよく知られる浅井氏滅亡の舞台となった小谷(おだに)城。標高494mの小谷山全山が城域となり、最上部の大嶽(おおずく)までは2時間半ばかりの山登りとなる。ちょっぴり汗をかいたが、石垣や土塁などを見ながらたどる山道は、紅葉と黄葉、赤い実が彩って、戦国の世が駆け抜けた湖北の輝きを見せてくれた。

  うつろい多彩に 木々も人々も

 河毛駅から自転車で西へ走ると、ようやく色づいてきた小谷山が島のよう浮かんで見えてくる。NHKの大河ドラマ「江」に合わせた「江・浅井三姉妹博覧会」で例年になく賑わう山麓から登っていく。今年は紅葉が10日も遅いということだが、出丸跡から大手道を上がり番所跡から馬洗池、桜馬場、本丸と進めば、落葉広葉樹の黄葉や紅葉がゆっくりながら進み、ナナカマドなどが赤い実をつけている。

 浅井長政の父、久政の自刃した小丸から小谷城主要部で最も高い山王丸に着く。東側に入ると、高さ4〜5m、幅30mにわたって石をぎっしり積み上げた石垣が残り、小谷城が規模や戦略上の位置で最高水準の山城だったことがわかる。

  ◇山頂の大嶽までひと頑張り

 山王丸からさらに進むと、黄葉の向こうに大嶽が姿を現わす。本丸ができる前の元の小谷城はここに築かれていたとされ、応援にかけつけた同盟軍の朝倉氏が拠点にしたというだけに、切り立った白い岩壁など険しい様相も見せる。大嶽へは急な山道となるので、山王丸までで戻る人が多く、その分静かな低山歩きが楽しめる。今日も本丸までは「江ツアー」の人々でにぎわっていたが、そこから上に進んだのは私たち3人のほか、ベテランらしき二人組くらいだった。

  ここから少し下ると六坊跡で、久政が領内の六つの寺を集めたという場所だ。このあたりから自生のカエデ、ドウダンツツジの紅葉も深くなり、さまざまな落葉広葉樹が黄葉の輝きを増してくる。特に目立ったのはタカノツメ。一つの葉柄に三つずつ小葉をつけ、山道には3枚一組となった葉が落ちていた。紅葉とともに山を彩るのは赤い実だ。山道のわきのヤブコウジは高さ10センチくらいで、落ち葉に埋もれそうな低さ。だが、球形の赤い実は直径5,6ミリと小粒ながらも、つやのある深い緑の葉に映え、遠くからでもすぐ目にとまる。常緑の小高木のソヨゴ(冬青)も長い柄の先に直径8ミリほどの赤い実をつけていた。

  ◇次の時代につながった屈指の山城

 
山王丸から30分ほどで「大嶽城址」の標柱だけが建つ頂上に着く。六坊跡あたりから降りだした雨もぱっと上がり、黄葉ごしに湖北平野から琵琶湖までが見渡せ、賤ケ岳から山本山に至る湖辺の低い山並み、そして湖上の竹生島が浮かび上がるように見えた。山本山は小谷城の支城・山本山城があった場所、竹生島は浅井氏が弁財天を深く信仰した島だ。

 そして、改めて気づくのはきれいに区割りされた田が広がる湖北の沃野だ。「長政が智、仁、勇に優れていた武将だったのに加え、父の久政ら浅井家3代が川の水利権の調整に力を尽くし、一帯での稲作を行いやすくしたことが、今も浅井氏の人気が高い原因です」。以前、麓の丁野で小谷城址保勝会の方が説明してくれたことを思い起こした。

 山頂からは北西に浅井家三代の墓所を経て高月に向かう道、福寿丸跡と山崎丸跡がある西尾根を下る道があるが、今回は六坊まで戻った後、清水谷を下った。道端のところどころに「三田村屋敷跡」「大野木屋敷跡」などと記した石柱が建ち、石垣の跡を留める。麓近くの「御屋敷跡」は「長政が妻子と暮らした所」とされている。初代亮政が守護の京極氏を招いた記録にも清水谷の館の様子が描かれていることから、信長との戦いで小谷城本丸に上がるまで住んでいた場所とみていいだろう。

 谷沿いに防護の曲輪や竪堀の跡が残るが、この堅固な山城をもってしても、駆け上がる信長の軍勢を防ぎきれなかった。「姉川の合戦の後、城を守る家臣が次々と切り崩されていったことが落城につながりました」と下山後に保勝会のメンバーが話していた。

 城下の社寺跡を通り過ぎると、登山口から少し西によった小谷城戦国歴史資料館に着いた。上り下り合わせて4時間。敗れたとはいえ、山城の最後を飾る小谷城は山の地形を城域として最大限に活用するとともに、次の時代に向けて城下の整備への指向も見られる。歩いてみると、城域も城下も、思っていた以上に規模があることを改めて体感した。

 ◇戦火を逃れた小谷寺の秘仏

 自転車を借りた際、東山麓の小谷寺(真言宗豊山派)で、秘仏の本尊・如意輪観音像を11月13日〜18日の期間限定で公開していると教えてもらったので、急いで寺に走った。高さ22cmの金銅仏で渡来仏とされる半跏思惟像。信長の城攻めで寺も戦火に遇ったが、この仏は難を逃れ、20年後秀吉に再建を許された時に戻ったという。そういう苦難を経ただけにか、少し変わった顔だちの中に豊かな表情が感じられる。

 浅井三代の祈願寺として栄え、江の働きかけもあってか幕府の安堵を受けたこの寺も今は無住寺となっているが、前住職の息子の管理者がくわしく説明してくれた。もともとは小谷山に泰澄上人が建てた寺とされ、この仏像にも長い歴史と地理的な広がりが秘められているようだ。

                        ◇

 小谷城戦国歴史資料館では城跡からの発掘品などを展示し、下山後に寄るとよく復習できる。12月4日までの「江・浅井三姉妹博覧会」の間は、近くの「小谷・江のふるさと館」で小谷城を立体展示や映像で紹介している。

                                           (文・写真  小泉 清) 


小谷山頂の大嶽城跡から湖北平野を望む

<ドウダンツツジ>

<西尾根>

<伊吹山>

<ヤブコウジの実>

☆遠望近景
    ◇案内情報

時期 11月中旬〜12月上旬

交通 JR北陸線河毛駅下車。駅前のレンタサイクルで小谷城跡登り口は東へ10分 。コミュニティバスの本数は少ない。徒歩なら30分

電話 長浜市役所(0749・78・1001)、 小谷城戦国歴史資料館(0749・78・2320)、河毛駅コミュニティハウス(0749・78・2280)

    2011年11月15日取材

<山王丸の石垣>

<大嶽>

<山頂手前>

<頂の紅葉>

小谷山頂の大嶽城址からは、黄葉ごしに湖北平野から琵琶湖までが見渡せる

小谷城跡の黄葉・紅葉

滋賀県長浜市