大震災の原発事故による節電で、暑さが増幅された2011年の夏。ようやく朝に涼しさを感じるようになった9月8日、長浜の街はずれ、黄金色の稲田に続く古刹・神照寺(じんしょうじ)を訪ねると、境内いっぱいに萩が咲き始めていた。
優美に、力強く 戦乱の世越え660年
長浜駅前から自転車で北へ30分、神照寺の門前から本堂への参道を歩く。小道の両側には萩が空に向かって高く伸び、また地に接するかのように垂れている。その姿には、優美さだけでなく、もともと野山に自生していたヤマハギの持つ力強さを感じる。
池のほとりを通り本堂の前に来ると、そのまわりを囲むようにハギが茂っている。本堂で岡本承善住職(77)にうかがったところ、6月と9月中旬に2回咲くナツハギ、薄紅色のアスカハギ、葉が大きめで丸みを帯びたシロハギとさまざまな色合いや葉の形のハギ13種が植えられているという。宮城県で多く自生し、県花となっている宮城萩(ミヤギノハギ)が本堂右側を包んでいる。真言宗の寺だけに不動明王をまつる護摩堂や弘法大師とゆかりの深い稲荷社もあり、こうしたお堂や鳥居、白壁、木々の緑など寺の風景に溶け込むように1500株、2万本というハギが枝分かれしている。
「この夏の暑さで開花は遅れ気味でしたが、今朝の冷え込みと好天で一気に開いてきたようです」と岡本さん。全体としての花の色合いはまだ少ないが、ゆっくり見ていくと咲き始めの花が持つみずみずしさにあふれている。
◇和議の証にと尊氏が植える
多くの萩の名所の中でも、この寺に心がひかれるのはその由来だ。寺の言い伝えによると、室町幕府を開いた足利尊氏が弟の直義と対立、湖北で戦った後の1351年、神照寺に泊まり、和議の証に(あかし)にハギを植えたとされる。ここを和議の場所に選んだのは、「平野の中の森だったので、万一裏切られても反撃しやすいと尊氏が冷静に判断したのでしょう」と岡本さんは見る。史実では尊氏がその翌年に直義を倒しているので萩を介した和議は実らなかったことになるが、武勇とともに文化の素養が高かった尊氏は、ハギを通して何を願ったのだろうか。「万葉集をはじめハギを詠んだ和歌は多く、何かの歌に心を託したのではないでしょうか」。
境内や周辺に残る萩の中で尊氏が植えたハギが残っているかどうかはわからない。平安時代に宇多天皇の勅願で建てられ、寺坊300を超す規模だったというこの寺は、戦国時代は浅井氏とつながりが深く、小谷落城の時には織田信長の軍勢に焼き討ちにあっている。寺はその後、長浜城を築いた羽柴秀吉が復興し、兵火や権力の移り変わりを越えて残ってきた。復興後もハギにまつわる記述はないが、岡本さんは「ハギは多年生の植物で寒さにも強いことから湖北の地に適し、寺にもずっと咲き続けてきたのでしょう」とみている。
現在の寺域の南側にさらに参道が続いているが、岡本さんが幼いころにもヤマハギが自然に茂り遊び仲間のかくれんぼの場所になっていた。「戦争の時、長浜は爆撃は受けなくても琵琶湖の上から岐阜方面向かうB29の通り道でした。寺のすぐ上を飛んで行くと、このハギの茂みの中に逃げ込んだものです」と振り返った。
住職を父から継いだ岡本さんは「30年以上にわたっていろいろな種類を植え、家族で世話をしてきた。「ゆかりの萩を通じて若い人にも寺に来てもらい、豊かな歴史や文化財を知ってもらい、仏の教えについて話をするきっかけになれば」というのが花に託した願いだ。
◇浅井家と深いつながり、江が力添えも?
今年も9月7日から25日まで「萩まつり」が行われ、本堂で寺が所蔵する空海や覚鎫(かくはん)らの人物画を集めた特別展が開かれ、宝物館では寺宝を展示している。今年のNHK大河ドラマ「江」に合わせて浅井三姉妹への関心が高まっているが、今年は浅井長政の位牌と、長政の念持仏で小谷城落城の際に運び込まれたという不動明王も展示されている。神照寺への乱妨狼藉(らんぼうろうぜき)や放火を兵に禁じた秀吉の禁札など歴史を示す史料も興味深い。
史料としては残っていないが、徳川の世になってからは、江の夫の二代将軍秀忠が寺領150石の安堵を沙汰したという。「浅井氏とつながりの深い寺ということで、江が夫の秀忠に働きかけたのかもしれません」と岡本さんは推測する。特別展では、五代将軍綱吉の経文の筆写も展示されており、江戸時代でも高い寺格を保っていたことがうかがえる。
◇国宝の華籠、躍動する花や葉の文様
宝物館では鎌倉時代の笙、室町時代の羯鼓(かっこ)をはじめ貴重な雅楽の楽器が公開されている。「神照寺流」という雅楽が地元で継承され、毎年3月15日の涅槃絵で入楽法要が行われていたが、後継者がいなくなり途絶えてしまったことが惜しまれる。
美術工芸品としてとりわけ惹きつけられるのは国宝の「金銀鍍透彫華籠(きんぎんとすかしぼりけこ)」だ。法会の散華(さんげ)の供養の際に花を盛る皿で、銅の円盤に金銀を使って透かし彫りされた花や葉の文様は、流れるような躍動感を感じさせる。
平安時代から鎌倉時代にかけてつくられた16枚のうち展示されているものは鎌倉期の1枚だが、彫金技術の粋を示した作品を誰がどのようにつくったのだろう。ここにも、時を経ても色あせることのない「花の世界」が広がっている。
(取材・撮影 小泉 清)
◇案内情報
・花期 9月上旬~下旬
・交通案内 JR北陸線長浜駅(京阪神から新快速)より湖国バスで神照寺前下車。長浜駅周辺のレンタサイクルを使えば、周辺に足を延ばせる
・電話 神照寺(0749・62・1629) 、長浜観光協会(0749・62・4111)
2011年9月8日取材