尼ケ岳~大洞山のススキ、初秋の花 三重県伊賀市、津市 | ||||||
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秋風に揺れる尼ケ岳山頂のススキ。西側に倶留尊山(くろそやま)などの山並みが連なる
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・花期 ススキは9月上旬~10月下旬 ・交通案内 尼ケ岳の北側登山口には、近鉄大阪線青山町駅から青山行政バスで終点の高尾上出下車(本数は少ない)、駅前にタクシーも。大洞山麓の三多気へは近鉄大阪線名張駅から三重交通バスで杉平下車 ・電話 伊賀市役所(0595・22・9611)、津市美杉総合支所(059・272・8085) =2008年9月20日取材= 古来から伊賀から伊勢への道となってきた室生火山群の尼ケ岳(あまがだけ、958m)から大洞山(おおぼらやま、1013m)を結ぶ稜線。大和と伊賀・伊勢の国境を区切り、大阪湾と伊勢湾に注ぐ水系を分ける分水嶺でもある尾根道では、吹き渡る風にススキが揺れ、木々が赤い実をつけ始めるなど秋の装いが進んできた。 大和と伊賀・伊勢、歴史刻む分水嶺を渡る風淀川水系・宇陀川の源流沿いの道を南へさかのぼると、杉木立の上に尼ケ岳の頂が見えてくる。笠をかぶった尼の姿から名づけられたともいい、伊賀富士とも呼ばれる優美な山容だ。台風の通り過ぎた日の翌朝、水量の豊かな沢沿いにはアケボノソウが名前にふさわしい優美な模様の入った五弁の白い花びらをつけている。杉、ヒノキの植林帯の中の急坂が続いた後、標高750mくらいでミズナラやリョウブなどの落葉樹林帯に入る。登山口から2時間登りが続くだけに、樹林の間から頂上に飛び出すと、なだらかな頂がいっそう広く明るく感じられる。◇四方見渡す眺望、樹林と野の花も魅力 尼ケ岳の頂上はクマザサに覆われているが、これをしのぐようにススキが伸びてきている。吹き上げる風に揺れる穂の向こうに四方の景観が一望できる。北は名張や伊賀上野の街並み、西には鎧岳(よろいだけ)、国見山など同じ仲間の室生火山群の鋭鋒が連なる。北東には青山高原が広がり、快晴なら伊勢湾まで見渡せるという。そして南にはこれから向かう大洞山への稜線が続く。 ススキ原のスケールなら西側の倶留尊山(くろそやま)高原に譲るが、尼ケ岳から大洞山へのコースの魅力は、この眺望と、尾根道に展開する樹林と野の花だ。少し湿った場所にはアケボノソウに続いて、舟を連想させるユニークな形の赤紫色のツリフネソウの花や、ミズヒキソウの小さな花が見られる。林道が横切る倉骨峠を越えて杉林を抜け、いよいよ大洞山への急な登りにかかると、落葉広葉樹林が続く。紅葉はこれからだが、初夏に小さな花をつけるガマズミは、赤い小さな実を鈴なりにつけ始めている。青空に浮かぶ雲は、まだ夏の勢いを留めているが、秋は一歩一歩、足を早めている。 再びススキ原が現れると大洞山の雄岳の頂上で、穂の向こうの西側に中太郎生の集落が広がる。笹原のマムシソウの実はまだ青いが、先が朱に染まってきた。あと少し登り下りすると雌岳(985m)。尼ケ岳から2時間、大和、伊賀、伊勢の三国が境を接する山頂からは今まで踏んできた峰々を振り返ることができる。 ◇尾根は大昔から幹線道、南朝支える 雌岳山頂から急な石段を下って南麓の真福院(しんぷくいん)に着く。伊賀に地盤があった平清盛が若いころ参篭して出世を祈願したと伝えられ、吉野の南朝を伊勢から支えた北畠氏の祈願所だった歴史のある寺だ。 旧美杉村の文化財専門委員も務めた松本俊彰住職(85)を訪ね「大洞山の南の山腹からは他所で作られた縄文土器や矢じりが大量に出土しました。尼ケ岳と大洞山を越える尾根道は見通しがきき、大きな川を渡る必要もなく、縄文時代から伊賀、大和と伊勢を結ぶ幹線道だったのでしょう」と説明してもらった。 注目されるのは、この稜線の東側の水が雲出川となって伊勢湾に注ぐ一方、西側の水は名張川から木津川、淀川となって大阪湾に流れ込んでいて、尾根が明確な分水嶺となっていることだ。「北畠の配下の者が伊勢の物資を真福院から西側の川に投げ込むと、自然に笠置の方の南朝の本拠に着いたといわれています」と松本さんは話す。織田信長の伊勢攻めで焼き討ちに遭ったが、時をそう経ずに復興した真福院。分水嶺に接した立地条件も、時代の変化を乗り切ってきたこの寺の強さの要因かもしれない。 真福院の門前から続く「三多気(みたけ)の桜」の道を下ると、畿内から伊勢へのお蔭参りの人々が通った本伊勢街道。ここから名松線(松阪~伊勢奥津)の終点・伊勢奥津駅まで東へ5キロの道のりを歩いた。黄金の稲穂が垂れる田や茶畑の周りに咲くヒガンバナやコスモスなど秋の花の向こうに、大洞山の姿が見え隠れする。大和から伊勢、山から里へと吹き渡る風は今年も秋を運んでくる。 (文・写真 小泉 清) →充実の縦走と街道歩き 祝!名松線の来春全線再開 2015.10.23取材 ⇒トップページへ |
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