筆者とサイトについて


   *生まれてからの歳月
 1952年(昭和27年)9月15日生まれ、乙女座の男です。この年の4月に平和条約と日米安保条約が発効、5月には白井義男が日本人初のボクシング世界チャンピォンに。東京五輪は小6、大阪万博と70年安保は高3で迎えました。

   
*住んできた場所
 大阪・北摂の淀川の支流の支流のそばで生まれ育ち。19の春に箱根の山を越えて、渋谷の西で2年、巣鴨・地蔵通商店街の近くで3年過ごしました。社の駆け出しは神戸で、灘・長田・兵庫区と計5年。30で連れ合いに引っ張られて宝塚に5年、その後は転勤に合わせて京都・伏見の宇治川のほとりに3年、日本海沿いの舞鶴に2年、箕面に3年と転々、阪神大震災の後、振り出しの生地に戻りました。

    
*山歴
 中学生のころから、当時地質や鉱物関係の仕事だった父が金剛山や二上山に連れて行ってくれていましたが、組織的に始めたのは高校のワンダーフォーゲル同好会に入ってから。普段の休日は六甲、比良が中心でしたが、夏山合宿で登った槍・穂高に感激、一時は比良、大峰の沢登りもよく行っていました。江戸にいた時は奥秩父、谷川岳、南アルプスに足を伸ばしていました。
 会社に入ってからは休みはぐったり状態でたまにしか行けませんでしたが、10年ほどから無理のない範囲で白山、大山、四国の山など近畿・中国・四国・北陸を中心に登っています。

    
*海歴
 舞鶴に2年いたことで心に海が近くなりましたが、釣りはイラチなため続かず。その代わりといっては失礼ですが、40過ぎからダイビングを始めました。沖縄本島、石垣島、伊豆(大瀬崎、赤沢)、舞鶴・冠島以外はほとんど紀伊半島の白浜、田辺、白崎、串本。忘れたころに行くという感じで10年以上かけて2010年10月に100ダイブです。できれば四国など新スポットにも進出したいところです。

    
 *IT歴
 手書きの字が社内の「三筆」と称えられたほどなので、いち早くワープロに着目。1行ずつ変換する「オアシスライト」(秋吉久美子の「思わず言葉でカメラしました」だったと記憶)から導入しましたが、せっかく覚えた「親指シフト」入力はパーに。パソコンはWINDOW3.1から導入、インターネットについては日本での草創期からフォローしてきたつもりです。


     
*そして、このサイトについて

 さすがに50を過ぎると、急いで登って下りするのでなく、ゆっくり花や木々で季節のうつろいを見ながら歩きたくなります。麓に下りてさっと引き揚げるのではなく、里の人にちょっと話を聞きたくなります。
 2010年9月に会社を「繰り上げ卒業」して“自由人”になったことを機に、零細ながら自前のサイトをつくって、歩いて見たこと、聞いたことを私なりに記録したいと思いました。

 過半数の項目は、ここ十数年に私が取材して公開したものですが、掲載した内容は原則、新たに歩き直して見て聞いたものです。
 ただ、この取材日以降に道の状況、交通事情など変化する可能性はありますので、これを見てお出かけになる際は、問合せ先などで確認してください。

 高い山も低い山も、海辺にせよ街にせよ野外での活動の面白みはリスクと裏表です。リスクをできるだけ回避するには、公権力や他人に依存するのではなく、自分自身の心がけと普段からの鍛錬しかないと考えています。



           ★ご意見、お問い合わせ先: koicom33@axel.ocn.ne.jp

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