岡崎城〜大樹寺 ゆっくり秋のビスタライン 愛知県岡崎市   

・時期 季節、時期ごとの魅力がある
・交通 岡崎城は名鉄名古屋線東岡崎駅から徒歩15分

・電話 
岡崎市観光協会(0564-64-1637)
岡崎城(0564-22-2122)
大樹寺(0564-21-3917)
    =2022年11月7日取材

大樹寺小学校の南校門となっている大樹寺総門。そのまん中に岡崎城天守が浮かび上がる
 
 
 浪花生まれの私にとって、岡崎という地名を耳にするといささか緊張する。かの徳川家康が生まれた地。“太閤さんの築いた大坂城を悪賢く落とした狸親父”という旧来の講談流イメージがぬぐえないのだ。でも、地元に出向いて知らなければ始まらない。意を決めて名古屋を抜け、駅前に巨大な騎馬武者像が立つ岡崎入りした。 

誕生の地から決意の場 家康の道 一筋に

  「岡崎の家康」というより「家康の岡崎」を体感しようと、家康が生まれた岡崎城と、桶狭間後の飛躍に大きな影響を与えた大樹寺を結ぶビスタラインに沿って歩くことにした。

 朝8時過ぎ、2023年の大河ドラマ「どうする家康」を前に改修中の岡崎城=写真=から出発。天守内には入れないが、紅葉が始まった城域の岡崎公園は回れるのでそう気にしない。南側の神橋から入って「東照公産湯の井戸」などを回って北東の大手門を抜け、大通りを北へ向かった。

◇悲劇の父・弘忠の廟所、往事の姿に復元

 ほどなく大林寺。キンモクセイの大木のある境内を通り墓地によると、奥に家康の祖父・清康らの墓がある。離れた場所に松平氏以前に岡崎城を築いた西郷頼嗣の墓もあるが、これはじっと小ぶりだ。

   脇道に入って、善入院の油掛地蔵尊にゴマ油をかけて祈願すると、すぐ先に松應寺。岡崎城内で家臣に刺殺された家康の父・松平広忠の廟所=写真=がある。織田家の人質になっていた竹千代が今川家に移される際に松の幼木を手植えし、桶狭間の戦いの後岡崎城主として自立した時、成長した松を見て「わが祈念に応じる松なり」と喜んで松應寺を建立したという。

 廟所の土塀が2015年に大雨で大きく崩壊、4年がかりで修復工事が進められ、今年5月に完成したばかり。土塀で残った部分を生かし、その上から土を固める伝統技法。最高級の寺格を示す土塀に引かれた五本の白線(定規筋)も、くっきりと当時の姿に復元されたことは嬉しい。
 
  ◇四天王・酒井忠次の奮戦留める井田城跡

  5月の大祭で岡崎きっての勇壮な「山車宮入り」が行なわれる能見神明宮から伊賀八幡宮へ。このあたりの歩道は、ユーモラスな石のモニュメントが続き、心がなごむ。

 伊賀八幡宮は松平四代目の親忠が創建、家康が勝利を祈願してきた社だけに幕府の庇護も厚く、華麗なつくりに圧倒される。「家康さんにあやかり、たくましく成長してほしいです」と七五三参りの一家が訪れていた。

   地元の人々の世話で花が絶えない柿田川緑道を進むと、右手に小高い丘が。ここに上がれば、稲荷社わきの井田の集会所で太鼓の練習会が開かれ、「青い山脈」のにぎやかなメロディーが響いていた。地元の世話役さんが、丘の上に建つ「井田城址」の碑=写真=を教えてくれた。1976年に地元有志が建立、「岡崎城を守る拠点の砦として酒井家五代が守り、特に徳川四天王の酒井忠次が勇戦奮闘、家康公の偉業の一翼を担った城」と記している。

 「新しい家が建ち並ぶ前、西側は矢作川まで田畑が広がり、四方を見渡せました」と世話役さん。景色は変わったが、今は地域活動の拠点となっている井田城への誇りがうかがえた。

 ◇「厭離穢土 欣求浄土」説かれ使命自覚

  後は、鴨田天満を西へ折れて大樹寺にゴール。桶狭間の戦いで敗れた19歳の家康が逃げ込み、先祖の墓前で切腹の覚悟を決めたところ、登誉上人が「厭離穢土 欣求浄土」の言葉を示し、「乱世を正し、平和な世を築くのが役目」と説いた。本堂のご本尊・一光千体阿弥陀如来像の前の両脇には、この言葉が掲げられている=写真。この時追っ手を退散させた70人力の祖洞和尚が振るったカンヌキ「貫木神」として祀られ、家康にとって、この寺が、将来の道を開く転換点となったことがよくわかる。

  本堂前に立ち、山門を眺めると、その向こうの総門のさらに向こうに、たしかに建物らしいものが見える。ただ、輪郭がとらえきれない。山門を出て大樹寺小学校の北校門前から見ると、今は同校の南校門となっている総門のまん中にくっきりと岡崎城の姿が見えた。校庭に碑が立つ校歌の一節「南校門のまん中に岡崎城も絵のようだ」の通りだ。

   ◇本堂−山門−総門−城の眺望ライン380年

  この本堂ー山門―総門―岡崎城天守を一直線で見通せる配置は、三代将軍家光が大樹寺の伽藍を造営した際の指示に基づくとされる。ご神君の時代に限らず、明治維新、敗戦を経て380年間、この歴史的眺望線=ビスタラインが守ってきた岡崎の人々の心意気には感嘆する。

 ビスタラインは直線距離約3キロだが、大樹寺に到着した時は正午を回り、岡崎城からの歩行時間は4時間超え。脇道に入って寄り道し、社寺に参拝し、話も聴きながらなので充実した時間だった。「急ぐべからず」。ゆっくり見聞きして岡崎城を望むと、家康が少し近くに見えたような気がした。 (文・写真  小泉 清)

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