からっ風の下「街歩きの時間」 群馬県桐生市           

・時期 同企画展は2020年12月8日まで。松本竣介の代表的な所蔵作品は常時見られる
ゑびす講は毎年11月19、20日

・交通
大川美術館へはJR桐生駅から北へ徒歩20分。同駅、上毛電鉄西桐生駅に無料のレンタサイクルがある
・電話  桐生観光案内所(0277・40・1888)
大川美術館(0277・46・3300)
    =2019年11月20日取材
大川美術館に再現された松本竣介のアトリエ
 
 
  11月20日、東京から上越新幹線と上毛線で2時間、桐生駅に下り立つと上州名物のからっ風が吹いていた。坂道の途中で自転車を置いて石段を上って大川美術館。まずそこで「松本竣介 街歩きの時間」展=写真右=を見た。戦時体制に流されず、戦争中にも都市の風景を描き続けた竣介が終戦からまだ日が浅い1946年に34歳で亡くなってから70年。これを記念して昨年10月に始まった4連続企画展の最終回だ。

 戦時下も描き続けた松本竣介の足跡 

  次男で建築家の松本莞さんの監修で下落合に設けたアトリエを再現している。展示作品は、同館所蔵の「街」、「ニコライ堂a」ほか、個人蔵を含め集めた作品53点。作品について質問すると学芸員さんが来て、二つの「黒い花」、「画家の像」と「立てる像」(第1回「アトリエの時間」で展示)とのつながりを説明してもらえた。

 私が松本竣介を知ったのは、何かの雑誌で見た「立てる像」(1942年)。竣介を反戦・抵抗の画家と称揚するのは行き過ぎだろうが、軍の国策美術に対して「生きている画家」で軍に従属するのでなく芸術家としての立場を明快に打ち出した画家の強さは感じた。その後、長男一家が2年間赴任していた縁で度々訪れた盛岡市の岩手県立美術館で、盛岡で育った駿介の作品が特別に展示されていたことから、街の情景を独特の色調で描いた竣介の作品に注目するようになった。

 ◇企業人収集家の情熱込もった大川美術館

 なぜ竣介が住んだことも訪れたこともない群馬県桐生市の美術館で、竣介の連続展が開かれるのか当初わからなかった。しかし、30年前に自力でこの美術館を設立した大川栄二氏(1924-2008)の駿介の作品に対する思い入れの深さに驚いた。桐生織の旦那衆かと思ってたら、桐生の老舗の畳屋生まれながら三井物産大阪支店で繊維取引に駆け回った後、ダイエーに入り拡大期に副社長を務めた異色のコレクターだった。

 建物はこぶりだが、収蔵作品は松本竣介の作品80点のほか、桐生にゆかりのある画家、ピカソをはじめヨーロッパの絵画を含め広い範囲に及び、2時間半回っても飽きない。大川氏の審美眼と情熱を感じさせるきらりと光った美術館だ。

  ◇関東唯一の西宮神社、黄葉の中ゑびす講

   「桐生に昭和モダンを探す」コーナーでは、絹織物で栄えた桐生の戦前からの建物を紹介していた。これに触発されて、館を出た後は、自転車で桐生の「街歩きの時間」。今は「ベーカリーカフェレンガ」として使われている織物工場=写真上=など大正〜昭和の建物が、本町通を中心によく残っている。

 北東に走ると、「ゑびす講」という旗が掲げられ露店が並んで、暗くなっても大賑わい=写真右中。桐生西宮神社という本家・西宮神社の直系分社で、関東ではここだけという。えべっさんといえば、もともと豊漁の神様なので、関東平野の真ん中の桐生で「なんで」とも思ったが、明治になって桐生の商人が商売繁盛を願って、西宮まで勧請をお願いに赴いたとか。時期的にも、えべっさんは正月の「十日戎」と思っていたのだが、イチョウの黄葉のもとでの「ゑびす講」=写真左=も情緒がある。

 けっこう動き回ったので、桐生名物とすすめられた「ひもかわうどん」=写真右=を食べに。きしめんどころでない幅広のうどんに、またびっくり。意外と関西に近い桐生に満腹しました。
   (文・写真  小泉 清)=2019.11..20

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