現代に連なるアウシュビッツへの道  ポーランド           

 
    ポーランドでアウシュビッツを通り過ぎることはできない。古都クラクフからバスで1時間半、厳重な手荷物検査を受け、Arbeit macht frei(働けば自由になれる)という標語が掲げられた=写真右=をくぐった。

  ◇障碍者から奪った松葉杖や義足保管

 まず一号館で、この収容所が当初ポーランド人政治犯の収容、処刑施設として設立され、1942年から「ユダヤ人問題の最終解決」という名の大量虐殺施設となった経緯の説明を受けた。ヨーロッパ全域から貨物列車で送られ労働力にならないと選別された女性、老人、子供から剥ぎ取られた靴や食器、すぐガス室に送られた障碍者から奪った松葉杖や義足=写真左=が大量に倉庫に保管されていた。女性から刈り取られ、ドイツの企業が軍服の原料にするために保管された髪の毛もある。

  ◇殺虫剤起源の猛毒ガスで大量殺害可能に

  大量殺害を可能にした猛毒ガスのチクロンBの使用済み缶=写真右上=が集められ、ガス室や遺体の焼却室も復元されている。地下の狭い監獄ではポーランド人政治犯やソ連軍捕虜が詰め込まれ、チクロンBの効果を確かめる実験の対象とされた。

 チクロンB2はもともと殺虫剤で、開発したのはユダヤ系ドイツ人化学者のフリッツ・ハーバー。空中窒素固定法を開発しノーベル化学賞を受け、第一次大戦中は毒ガス兵器開発を主導したが、ヒトラーのユダヤ人追放で客死した。その後チクロンB2は大量虐殺の道具に転用され、ハーバーの親族の多くも殺された。


  南東に新設されたビルケナウ収容所も見学した。大量虐殺を効率的に行うためガス室に直結する引き込み線=写真右下=が延伸されている。急造された木造バラックの中は、居住棟とはとても思えない狭さと不衛生さだった。バラック内の便所=写真左=は450人が朝夕の決められた短い時間に限って使わされるので、たちまち病気が広がったという。

   
◇見逃された「ユダヤ人絶滅」への動き

  見学できたのは一部だったが、人間が人間に対して行う行為がここまでになるのかと慄然とする。 ただ、これはヒトラーを頂点としたナチスの極めて特異な思想がもたらした一時期のできごとではない。「ユダヤ人絶滅」は突然現れたのではなく、ユダヤ人排斥の動きはずっと前から進められ、ドイツをはじめ多くの人々がそれを見逃し、ましてや日本は三国同盟の絆まで結んでいたのだから。

 障害者やハンセン病患者に不妊手術を強いてきた日本の旧優生保護法。戦後の1948年施行だが、その背景となる考え方が、ナチスの優生思想と無縁とは言えないだろう。過去のできごとでなく、現代の課題としてアウシュビッツを記憶に刻まなければと感じた。    (小泉 清)=2019.9.23取材

 
第二次大戦開戦の地グダンスク =2018.9.19

 
                            
               ⇒トップページへ