遊行寺の大イチョウ  神奈川県藤沢市      

 ・時期  11月下旬〜12月上旬が見頃
・場所  藤沢駅から北へ徒歩15分
・電話  遊行寺(0466・22・2063)、藤沢市役所(0466・25・11111)
    =2018年11月12日取材

黄金色に染まった大イチョウ(12月3日撮影)
 
 
   東海道六番目の宿場・藤沢宿。藤沢駅北口から江の島弁財天道標を通って境川にかかる遊行橋を渡り、時宗総本山の遊行寺(ゆぎょうじ)惣門=写真左=に出る。桜紅葉が続く48段のいろは坂を上がって境内に入ると、黄葉が進む大イチョウが枝を広げている。樹齢700年と伝えられ、1982年の台風で上部が折れたが、それでも樹高16m、幹回り6.8mの巨木だ。

 日本文化に広がり 一遍上人の教えくむ

 今ではあまりなじみのない時宗だが、踊り念仏で知られる鎌倉時代の僧・一遍が開祖。本堂前には、その一遍上人の像=写真右が立っている。一遍自身は各地を巡る遊行に徹して本拠とする寺を持たず、「一代の聖教みな尽きて南無阿弥陀仏になりはてぬ」と兵庫で亡くなる前に自分の著書もすべて焼いてしまったくらいだ。しかし、二祖の真教上人は念仏道場を各地に設立して教団化を進め、四代目の呑海上人が出身地の藤沢を本拠にした。江戸時代には幕府のバックアップを受け、代々の上人が各地を巡る遊行を続けてきた。

 重文の中雀門をくぐって正面玄関前で寺僧に尋ねると、今は踊り念仏を日常的に行うことはないが、盆踊りのルーツといわれるだけに、毎年7月に同寺の境内や藤沢駅周辺で「遊行の盆」が開かれるという。市民団体の主催だが、寺も境内を開放して協力している

 ◇遊行上人が甦り導いた小栗判官

 本堂に参拝して右手の参道を進むと子院の長生院に着く。説教節「小栗判官」のもととなった伝説にちなんだ「小栗判官並びに小栗十勇士の墓」「照手姫の墓」=写真左=さらに「名馬鬼鹿毛の墓」までがある。説教節「小栗判官」は、「京の名門に生まれ知勇兼備の若者に育った小栗判官が配流先の常陸の国で豪族の娘照手姫を見染めて妻とした。しかし、一族の怒りに触れて鬼鹿毛という凶暴な馬を当てられたが見事に乗りこなし、次に宴席で毒酒を飲まされて死ぬ。閻魔大王のはからいでこの世に戻された判官を藤沢の遊行上人が見つけ、車に乗せて『この者を熊野の湯に送るのに手を貸せば功徳を得る』と記すと沿道の人々が車を曳き、判官は熊野の湯で完治。売り飛ばされて美濃の国で下女として使われていた照手姫を救い、領地を得て復讐を果たす」という内容だ。

 長生院の伝承では、「判官の没後照手姫は仏門に入り、長生院を建てた」などが加わっているが、中身は共通。小栗判官の蘇生に藤沢の遊行上人が決定的な役割を果たしている。

◇中世くっきり 見逃せない「一遍聖絵」

  国宝「一遍聖絵」などを収蔵する宝物館では、彫刻家で仏像修復家でもある瀧本光國氏の特別展を開催中。一遍の継承者・他阿真教上人坐像、風や滝の連作など幅広い創作を展示していた。この日は瀧本氏自身が同館に来られていて「ないものをあるものにしていくということでは、仏像も、風の木彫も同じです」と話していた。

 「一遍聖絵」は、来年(2019年)4月13日から国立京都博物館の「国宝一遍聖絵と時宗の名宝」展で見られる。文書を残さなかった一遍の足跡を示すとともに、当時の風景や人物が精細に描かれ、中世の歴史を知るうえで貴重な絵巻。全12巻を一挙公開されるのは戦後初というだけに見逃せない。

 時宗の教団化により、一遍の思想からかなり変化している要素もあるようだ。徳川将軍家とのつながりが深かった分、明治以降の展開が遅れ、寺院や信徒の数は多いといえない。しかし、法然の高弟の証空の教えを受けた一遍の教えは、法然や親鸞とまた違った浄土宗の展開のしかたとして興味深い。さらに、歌舞や能、説教節など芸能、口承文学に与えた影響は極めて大きいといわれている。藤沢といえば、江の島のイメージだが、一遍上人の流れをくむ時宗総本山・遊行寺もぜひ一度訪ねたいところだ。 (文・写真 小泉 清)       

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