100回目の高校野球 発祥の地から 大阪府豊中市           

・場所 「高校野球発祥の地記念公園」は、阪急宝塚線豊中駅から本通を西へ400m
・電話  豊中市公園みどり推進課 (06・6843・4131)
    =2018年5月30日、8月3日取材

投球する京都二中OBの黒田脩さん
 
 
 1915年(大正4年)に前身の全国中等学校優勝野球大会が豊中グラウンドで始まり、今夏(2018年)で第100回となる全国高校野球選手権大会。8月5日の開幕を前に、わが家近くの「高校野球発祥の地記念公園」(大阪府豊中市玉井町3)でもセレモニーが続き、近隣住民として見学に行った。

 受け継がれる歴史を刻む喜び 

  5月30日には、56地方大会で行う「100回つなぐ始球式リレー」の出発式が開かれた。高野連会長、豊中市長、甲子園球場長に続き第1回大会優勝校の京都二中OBの黒田脩さん(88)=写真左、河畑鎮さん(86)=写真右=が全国を巡るボールを投げた。

◇終戦翌年に再開、「感謝の心忘れずに」

 黒田さんは戦後の昭和21年(1946)に西宮球場で再開された大会で内野手として活躍、今の選手に「恵まれた環境に感謝の心を忘れず、ベストを尽くしてほしい」とメッセージを寄せた。豊中グラウンドについても、「第一回大会で優勝した先輩が、戦後の復活大会出場の時も練習にかけつけられ、指導や励ましを受けました」と連なる縁を話していた。

 2年だった河畑さんは補欠の捕手で、用具の手入れなど裏方に徹底。「1年前まで敵だった米国の軍人から最新の野球を学んで京都二中は強くなりました。商社に就職後、アルジェリアで現地の人とソフトボールをするなど野球との縁が生きてきました」と振り返った。

 ◇前年優勝校が初の銘板取り付け

 8月3日には、昨夏の優勝校で今回も北埼玉代表として出場する花咲徳栄(はなさきとくはる)高校の主将らが来訪、同高と準優勝校の広陵の校名入り銘板を取り付けた=写真左。 昨春に記念公園を拡張した時、各回の優勝・準優勝校名を刻んだ銘板を展示するウォールを新設。前年の優勝校が来るのは今回が初めてだ。

 杉本直希主将と部長は、第1回大会が開かれた豊中グラウンドについて豊中市職員から説明を受け、銘板を受け取って第99回大会のスペースに設置。杉本主将は「花咲徳栄の名が歴史に刻まれて嬉しいです。これも先輩のおかげ。今回も初戦から一つずつ勝ち上がり、来年も後輩がここに来られるようにがんばります」と話していた。

 話の内容に加えて、きびきびした姿勢や落ち着いた受け答えにびっくり。さすが有力選手をまとめる強豪校のキャプテンと感心した。あまりなじみのなかった花咲徳栄だったが、近隣のおばさん連も「こんな子が息子だったら」と握手で激励していた。杉本選手はレフトで二番バッター、県大会では打率.562と屈指の巧打者とか。筋骨隆々というよりすらりとした体格だ。

 銘板の設置場所は200回大会まで用意されている。夏の酷暑化や子供の野球離れなどで「夏の甲子園」の将来に悲観的な見方も出ているが、それでも昭和人間として、新しい世代の選手には次の100回をつなぐ熱闘を期待したい。

 豊中市では、来年からも毎年夏の甲子園開幕直前に、前年優勝校の選手に記念公園を訪れ、銘板をとりつけてもらうことにしている。直前練習の合間を縫っての短時間での訪問ではあっても、高校野球の頂点に立った学校の選手と指導者が「高校野球発祥の地」に立つことは意義深いことだろう。
      (文・写真  小泉 清)
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