「高校野球発祥の地」確かめる記念公園                                  
  夏の高校野球の前身、全国中等学校優勝野球大会の第1回大会が行われたのは、甲子園球場でなく豊中グラウンド(大阪府豊中市玉井町3)。その跡地近くに設けられた「高校野球発祥の地記念公園」の竣工式が4月6日行われた。
  第1回大会の始球式のレリーフなどを設けたメモリアルパークが1988年にできたが、来年の2018年夏には第100回大会を迎えることから拡張して一新した。周辺住民の意見を反映する会合(ワークショップ)を4回持ち、筆者も参加した縁で竣工式に出席した。

 ◇豊中グラウンドの平面図や赤れんが塀“再現”

 市道をはさんで東側に拡張された通路上の細長い敷地には、歴代優勝校・準優勝校の名を刻んだ銘板が飾られ、来訪者は歩きながら大会の歩みを振り返ることができる。式では、第1回大会優勝校の京都二中の流れをくむ鳥羽高、98回大会優勝校の作新学院の野球部監督が優勝プレートを取り付けた。住民の中にも作新OBや龍谷大平安の関係者ら優勝校に縁のある人が何人かいて、感慨深げに見ていた。
 これまでグラウンドの沿革や所在地を示す情報が不十分で、メモリアルパークまで来ても戸惑う人がいた。今回、阪急文化財団で見つかった建設当時の平面図を焼き付けた陶板を床面にはめ込み、よくわかるようなった。

 グラウンドを取り巻いていた赤れんが塀の遺構は今4戸に残っているだけだが、塀を建て替えた家が、保管していたれんがを提供。うち40個を公園のレンガウォールに使い、もともとの高さの位置に合わせた一列に一部復元した。

   ◇周囲を巡り歩いて+豊中ブランド 

 豊中グラウンドの存在をはっきりさせたことは、ワークショップでも要望していたことで良かった。ただ、記念公園だけでは、「豊中ブランド」を十分アピールしきれない。豊中グラウンドではフートボール優勝大会が1918年から5回行われ、高校サッカー、高校ラグビーの発祥地でもある。本来豊中グラウンドの観客のため設けられた豊中駅(当時豊中停車場)には、ラグビーのモニュメントもある。
  豊中グラウンドが大正時代の終わりに解体されても、その赤れんが塀や御影石の基礎がそのまま住宅地に生かされたことは、注目される。「住宅都市・豊中の発祥の地」を伝えるものでもある。豊中駅から記念公園に来たら、そこで学んで一服してから、グラウンドの周りとなる道を歩き、南側の2戸、西側に2戸残る赤れんが塀を見れば、大正から昭和への時代の雰囲気をしばし感じることができるのではないだろうか。

 さらに、そこから千里川に出て蛍池に向かい、「野球」の名付け親・中馬庚(ちゅうまん・かなえ)の眠る円満寺に足を伸ばせば充実したウォーキングになる。

 案内板の設置や道順表示、案内マップなどが整えられていって、市外からも訪ね歩く人が増えていけば、「意外とおもろい町・豊中」の魅力が広がっていくだろう。
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*高校野球発祥の地記念公園へのアクセス
 阪急宝塚線豊中駅から西へ本通りを徒歩で5〜10分
 電話 豊中市公園みどり推進課 06・6843・4143

       
                  =2017.4.6取材 (文・写真  小泉 清)

「野球の名付け親」しのぶ花の圓満寺=2017.4.8取材
              
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