「関東の親鸞聖人」と逢う善照寺の報恩講  和歌山県串本町         

   
                    
    
親鸞聖人関東御修行絵伝で妊婦往生の場面を示す山本住職

  ・日程  善照寺の報恩講は10月か11月に行われるが、毎年変わるので要問合せ。2017年は11月11日(土)の午後1時30分と同7時から
・交通案内   JR紀勢線古座駅(特急停車)下車、徒歩10分
・電話  善照寺(0735・72・0468)、古座観光協会(0735・72・0468)=周辺観光情報、レンタサイクルなど               
                 =2016年11月20日取材=        
 江戸時代に海上交通の拠点だった南紀・古座(和歌山県串本市古座)の繁栄を留める善照寺。石山合戦からの歴史を持つ浄土真宗本願寺派(お西さん)のお寺だ。2016年は11月20日に行われた報恩講にお参りし、この日だけ公開される関東時代の事跡に絞った親鸞聖人絵伝を拝観した。

  全て東国布教の絵伝、新鮮な話や表現

  立派な山門をくぐるとツワブキの黄色い花が迎えてくれる。報恩講の日は本堂余間に二種類の絵伝が掲げられる。おつとめと法話が始まる前にも見せてもらったが、法話が終わってから、残った門徒の方とともに山本昭隆住職に説明いただいた。

 はじめに、覚如上人が作成された「本願寺親鸞聖人絵伝」に基づき江戸時代に描かれた「親鸞聖人絵伝」。山伏弁円の回心など関東布教の話も一部含まれるが、9歳の時に青蓮院で到着したその日のうちに得度した場面、法然上人の門に入って「信不退」か「行不退」かの問いで信の座に着く場面など、よく知られた京都での事跡を中心に描かれている。

 もう一つの「親鸞聖人関東御修行絵伝」は、4幅に5段ずつ26の場面が絹地に描かれているが、 関東時代の事跡に絞られている。赦免を受けて越後を去って関東に向かう右下の場面から始まり、関東の弟子に見送られて箱根を発つ左上の場面で終わっている。

 亡くなった妊婦の済度のために親鸞が小石に浄土三部経の文字を刻み、妊婦が往生成仏をとげる場面など、一般でとらえられているのと少し違った親鸞像が見られる。茨城県鉾田市の無量寿寺に伝わる話で、山本さんが同寺を訪ねたところ「この話が描かれた絵伝があるとは初めて知りました」と驚かれたという。常陸の国で教化の際、雪の降る冬の夜に宿を断られた聖人が石を枕にあてて休む沈石寺の場面もあるが、雪の情景がくっきり描かれていて、絵伝の表現面からの独自性も感じられて興味深い。

 覚如上人の「本願寺親鸞聖人絵伝」に基づいた絵伝が本願寺派の寺院で掲げられてきたのに、なぜそれと異なる絵伝が描かれたのか。山本住職に尋ねた。

 「関東での親鸞聖人の足跡は、聖人ご自身が書き留めたりされていないことから史実の記録としては残っていません。しかし、民衆の済度に伝道を続けられた聖人の足跡を人々が伝奇的な要素を混じえながらも語り伝え、それを地元のゆかりの寺が伝承として残してきました。そして、江戸時代になって社会が落ち着くと、本願寺派をはじめ多くの僧が、関東のご旧跡を訪ねて伝承を集め書物を著わすようになりました」と背景を説明。「この絵伝もそうした状況を受け、覚如上人の絵相にはなかった親鸞聖人のお姿を伝えたいという気持ちから描かれたのでしょう」と伺った。

  ◇下軸から文政京都大地震の証言

 この絵伝が明るみに出たのは 2011 年。京都市の龍谷ミュージアムの学芸員が調査してその独自性に着目し、翌年2月には同館で開催していた親鸞聖人御遠忌750年の記念展にも出展された。寺ではその後掛け軸を修理して、この年の報恩講から公開している。

 「この修理の際に思いがけない史料が下軸から見つかりました」と山本住職に書付を見せてもらった。「文政十三年七月二日七ツ時大地震 七日間収まらず」の文字がくっきりと、当時この掛け軸を補修していた京の表具師の名前で記されている。現在の暦で1830年8月19日に起きたとされる文政京都大地震と符合し、その発生と揺れ方が確かな記録として確認された。また、補修は制作から相当の期間を経てからされることから、この絵伝は江戸時代前期に描かれていたと推定される。

   ◇見て聴き、聴いて見る…寺ならではの味わい

 正直、この絵伝を拝観するために報恩講に参加したのだが、本山や所属寺以外での報恩講は初めてで、新鮮な経験だった。町の行事が重なったため例年より少なめながら、古座を中心に昼・夜で55人ほどの門信徒がお参り、古座川上流の集落から来た年配の女性もいた。集落にあった寺が無住となったため山本さんが兼務して年5回の法要を執り行っている。その方は善照寺の報恩講にもお参り、95歳の夫は運転できなくなったが、子息の運転でそろって古座に来た。

 正信偈のおつとめの後、兵庫県たつの市から来られた竹内俊之師の法話を聴聞した。親鸞の妻として関東時代を共にし、晩年は離れて越後で暮らした恵信尼。聖人の92歳での往生を知らせた娘の覚信尼に「なによりも殿のご往生、中々はじめて申すにおよばず候」と返した恵信尼の手紙と、自身の母の介護の経験を重ね合わせて「平生業成」(へいせいごうじょう)について説かれた。「臨終の瑞祥で往生をたのむのではなく、どのような亡くなり方であっても、平生の信心によって往生が決まる。認知症などを恐れることなく、いまを生きて行こう」という話を明るく説かれた。誰もが直面する現代的なテーマで、笑いを呼ぶ中に説得力があった。

 美術館や博物館で仏像や仏画を見るのもいいが、やはりお寺。こうした法話を聞いた後で、絵解きをしてもらって親鸞聖人の生き方をたどる絵伝を見ると、より心に響くように感じた。

 山本住職は「善照寺の門信徒でない方も、報恩講にどうぞお参りください。ほかにない親鸞聖人の絵伝を見られることから、仏縁が広がっていけば」と話している。

  (文・写真  小泉 清)

           ⇒古座川河口部の初夏 2012.5.16取材
              

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