「語り継ぐ会」、 海防艦犠牲者の兄の思い                                
  和歌山県由良町の人たちでつくる「九条の会ゆら」は2005年から毎年、「戦争体験と平和への思いを語り継ぐ会」を開催。語り手は由良町ゆかりの戦争体験者で、兵士に限らず、これまで従軍看護婦、旧満州からの引き揚げ女性らに来てもらった。今年(2016年)も6月18日、由良町中央公民館で12回目の会が開かれた。

 昭和20年7月に由良湾に停泊していた海防艦が米機の猛爆を受け沈没する情況を米機のガンカメラがとらえた映像を上映。その後、犠牲となった海防艦乗組員の兄で94歳の浜田英雄さんが、会場から特別発言した。

 弟の照男さんが爆撃で戦死した時、英雄さんは従軍中。満州で4年間軍務、関東軍の移動方針で昭和20年3月には博多港に戻り宮崎県に転進していた。復員後母から聞いた話では、知らせを受けた母(当時45歳)が遺体の積まれた倉庫に遠路かけつけたものの、歩哨が立っていて会わせてもらえなかった。「顔を見せられる状態ではない」と石灰をかけられた遺体47、8体が大八車に積まれて興国寺の下に運ばれ、まわりからかき集めた土をかけて埋められた。「火葬にすれば煙が出て機銃の的になるため、土葬にすることにし、夜暗くなって一般の人の協力で遠い寺まで運んだそうです」。

 ここでも、「もう一度顔を見たい」という母の願いはかなわず、傍らに線香を立てるしかなかった。終戦となり10月2日に復員した浜田さんは、弟の遺骨を掘り出そうと14日、母や親戚の人たちと4人で興国寺に赴いた。しかし、墓標がすきまなく立っていて、掘ることができなかった。住職が来て「遺骨はすべて白木の箱に収めてお渡ししますので、きょうは帰ってください」と言われた。

 翌21年の4月25日、田辺市の海蔵寺で合同慰霊祭が行われた後、白木に入った照男さんのお骨を受け取ることができた。「弟は280日ぶりに身内の待つ仏壇に安置されました。行年20歳。常日頃気丈で、私たちには厳しい母でしたが、仏前でいつまでも涙を流していました」。

 子供のころから足が速くて運動会ではいつでも一番だったという照男さん。後に母が話したところでは、照男さんは亡くなる10日前、外泊許可を受けて家に帰ってきた。翌日艦に戻る時、母は日高川にかかる天田橋まで見送りに行き、姿が見えなくなるまで手を振ったという。。

 戦後の時が進み、戦死者の慰霊に毎年集まっていた海防艦の生存者らが中心となって浄財が呼びかけられ、沈没した湾を望む山裾に鎮魂碑が建立された。浜田さんは遺族代表として式典に臨み、碑を除幕した。

   ◇「お父ちゃん、行かないで」しがみつく娘残し戦地へ

 浜田さんはさらに、「出征すれば一家が食べていけない」事情だった隣の家にも容赦なく来た「赤紙」=召集令状=の実体も証言した。「お父ちゃん、行かないで」と大泣きしてしがみつく4歳の女の子。「生き地獄とはこのことかいな」とつぶやきながら父は娘を抱き上げ、頭をなでながら、近所の人に「がんぜない子供を残していきますが、どうぞよろしくお願いします」と懇願して出征していった。まわりからは、「万歳」でなく「心配すんな」の声があちらからも、こちらからも上がったという。

 「優しい人でしたが、終戦3か月前の昭和20年5月3日、中支・武昌の第28兵站病院で病死されました。私には召集され出征した場面が脳裏に焼き付いていて、話をする時まず思い浮かべました」と浜田さん。「戦争は絶対にしたらあかんと今でもつくづく思います」と会場で力を込めた。

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 「語り継ぐ会」では、恒例の由良女声合唱団の「みんなで歌おう」、「平尾容子と朗読の仲間たち」の「おとなになれなかった弟たちに・・・」(米倉斉加年作)の群読も行われた。

 「語り継ぐ会」の開催日は毎年不定。問い合わせは「九条の会ゆら」事務局(電0738・65・1273、池本護さん方へ)。

 浜田さんの証言は予定外でした。浜田さんは海防艦の映像を見に来場、開会前に会の関係者と話していたところ「当時のことをご存じなら、少しでも教えてください」と急きょ頼まれ、「話し下手でも、弟の供養になれば」と心に決められたそうです。後日、筆者の書面での問い合わせにも丁寧な回答を寄せていただき、会場での話に一部補足させてもらったことを深謝いたします。
                       (文・写真  小泉 清)=2016.6.18取材

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