雪なくとも静寂の樹林 申年初登りは猿子城山                                   
  2016年の初登りは1月4日、和泉山脈の猿子城山(さるこじょうやま、709m)へ。例年は年頭に霧氷を見に登るのだが、今季の関西は当面、山でも積雪の見込みがなく断念。干支がらみの山を選んだ。

   ◇ツツジの間抜ける急坂の尾根

  南海バスの滝畑ダム終点から吊り橋を渡り、民家の裏手から槇尾山への山道をとり、40分ほどでボテ峠へ。西へ猿子城山へ延びる尾根に取り付いた。ここで、当方より少し年上とみられる山ガールと合流。「申年にちなみ10日に仲間と4人で登るので下見に」とのことだった。「猿子」という名から、この山への登りは手を使ってよじ登るイメージを持っていた。急坂ではあるが、手を使うほどではない。猿子城山の頂を見ながらツツジやアカマツの樹林の間を抜ける登り道=写真左=は快適、やがて勾配も緩やかとなり峠から40分ほどで山頂に着いた。

 頂上周辺は杉、ヒノキが植林され、周囲の眺望が得られないのが難点だ。ここに猿子城という山城があったと伝えられるが、猿との関係は不明で、お猿さんの姿は見当たらなかった。

   ◇シキミやアオキの赤い実輝く

 急坂を下った十五丁石地蔵で、槇尾山に向かう女性と別れ、そのまま西へ。このあたりクヌギやリョウブの自然林が続き、常緑低木のシキミの赤い実=写真右=が輝いている。桧原越分岐では三国山方面に向かう道を離れて東へ折れ、緩やかな尾根道を進む。三角点のある上山山頂(777m)は樹木に囲まれ少しわかりにくいが、メインルートを外れていて出会った人は一人だけ、静寂の山を楽しめる。

 頂上から東へ下山ルートを取る。木を下す架線場跡付近は落葉広葉樹の疎林が続き、すっきりした幹と枝が青空に伸びて簡素な美しさがある。落ち葉を踏みしめて下っていくとアオキの実が午後の陽射しを受けて映えていた=写真左。途中、尾根道を外れ大きく南側に回り込むようにして鞍部を下る。はっきりした道がついていないところもあるが、誘導テープに注意して進めば迷うことはない。シラカシやヤブツバキなどの照葉樹林が続き午後2時半には、葛城修験の行場だった光滝寺の裏手に下った。

   ◇光滝炭の発祥伝える炭焼不動堂

  特徴的なのは本堂手前にある炭焼不動堂。寺伝によると平安中期に不動明王が化身して住職に白炭の製法を伝授、これが村人に広がり、ツツジの梢を曲げて花鳥の姿に焼いた花炭焼とし、光滝炭として茶道で重用されるようになった。秀吉の小田原攻めに屈した北条氏の狭山藩がこの地を治めていたが、幕末にはこの炭を専売品として財政再建を図ったという。

 キャンプ場を抜けて石川を遡っていくと光滝と出会った。高さ10mを超す名瀑で、勢いよく滝つぼに落下している。ここから川沿いの道を滝畑ダムに戻って5時間半ほどの新年登山は完了。今回のように、高さや知名度にとらわれず、自分のペースで今年も登り続けたいと思った。
                            =2016年1月4日取材 (文・写真  小泉 清)
                  
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 アクセス: 南海電鉄高野線河内長野駅前から南海バスで滝畑ダム終点下車。

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