梅雨時こそ映える 摩耶山〜森林植物園のアジサイロード                                  
  7月を迎え心は夏本番なのだが、日本の南には台風が3個も並び、近畿一帯が傘マークでは海や山には遠出はできない。それでも、家にこもってばかりではと、アジサイの花咲く六甲山、摩耶山ー森林植物園のコースに向かうことにした。

 夏はできるだけ谷筋を歩くコースをとりたい。小雨の降る中、神戸・西灘の山の手の住宅地から青谷川沿いの道を上がった。少しずつ標高をあげていくと、平地では色があせてきているアジサイの花が、鮮やかさを増していく。標高400mあたりからうっそうした樹林が山道を包むようになる。スタジイやアラカシなどの大木、ツバキ、アオキなどの低木が続く。幸い雨は上がったが、結構急な登り道が続くなので、汗がどんどん出てくる。3月に下りで使った上野道と合流し、アジサイに飾られた急な石段を上り、神戸市の史蹟公園となっている旧境内地に。再び濃い樹林の間を登って摩耶山頂に着いた。

 ◇レイテ湾に眠る巡洋艦「摩耶」の碑、天上寺に

 山頂から更に奥に進み、まず摩耶山天上寺を訪ねた。大杉の横の石段を上がると、十数本育っている沙羅の木の花=写真左=が迎えてくれた。釈迦がその下で亡くなったといわれる沙羅双樹の木は日本で育たないため、ナツツバキが沙羅として植えられている。「諸行無常」のたとえに引かれるとおり朝に咲いた花が夕方に散る一日花で、石段に落ちた花が散り敷かれていた。9年前に訪れた時よりも花が多いような気がしたので僧の方に尋ねると、「まわりの槇の木の枝葉を払って日当たりをよくしてから育ってきたようです」とのことだった。

 タカネナデシコやオカトラノオなど山の植物も開花している。元摩耶のシンボルとされてきたヤマボウシの大木の白い花は6月中旬に終わっていたが、初秋に赤い実のなるのが楽しみだ。

 石段わきには1944年のレイテ湾で米潜水艦に450人とともに撃沈された巡洋艦「摩耶」の碑があったあった。川崎重工神戸造船所で1932年に進水したこともあり、1984年に名前の地に建てられた。年配の男性の方が長く手を合わせていた。「摩耶」の関係者ではないが「今の日本があるのも戦争で亡くなった方々のおかげ」と参拝しているという。

  ◇小滝かける谷沿いになじむヤマアジサイ

 天上寺を辞して、摩耶自然観察園に下りる。アジサイ池の水面いっぱいにコウホネの黄色い花が広がり、池の周囲もリョウブやイヌシデの木々の下にさまざまな装いのアジサイが彩り心地良い。観察園へ下りる道端にオカトラノオの群生を見つけた。

 アジサイ池から北西に桜谷を下る。小滝をかける沢沿いに沿った道、今日は平日で人通りも少なく快適だ。ところどころにヤマアジサイ=写真=やノリウツギといった自然種のアジサイが咲いている。園芸種のアジサイも見栄えがしていいのだが、自然林の続く谷道ではやはり元のままのアジサイがよくなじむ気がする。

 広くなった沢を飛び石伝いに渡って徳川道に合流する。幕末期の兵庫開港時に設けられたバイパスだが、今日は歩かず西へ進む。道の上にに白い花びら、黄金色の花芯の花が散り敷かれて続いている。見上げると樹皮が剥離した明るい色、ナツツバキの木が続いている。摩耶山天上寺のナツツバキと違って自生の高木で、咲いている状態の花は高くて見えないが、気持ちのいいナツツバキ通だ。

   ◇「幻の花」シチダンカも…森林植物園で勢揃い

 谷は南へ折れてトウェンティクロスへ向かう道をとる(そのまま直進すると又ケ谷〜西神戸有料道路のルートに導かれるので注意)。谷を西岸に渡って西へ進むと神戸市立森林植物園の東口があるので入場。スイレンが開いている長谷池を左手に通っていくと、各種のアジサイが集まっていた。シーボルトが「日本植物誌」で紹介した「幻の花」で戦後六甲山中で再発見されたシチダンカ、玉のようなつぼみが割れて咲くタマアジサイ=写真=など珍しいアジサイなども見られる。今夏は雨が続いているから、アジサイの見ごろも長く続いているという。最後に展示館でアジサイ学の勉強。「六甲山の花こう岩質の酸性土壌がアジサイの青さを引き出す」などの知識を学んだ。

 梅雨時でも、いや梅雨時だからこそさまざまな色合いが映えるアジサイ。六甲山系では自生種、園芸種とも脚力に応じて楽しめるのはありがたい。「神戸市民の花」に選ばれたのも納得できると妙に感心しながら、裏六甲の谷上に向かう山田道を下った。
                                        (文・写真  小泉 清)

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