賑わい消えても年一度 五地区で守る神王寺の御影供             
  旧暦の3月21日に当たる4月30日、重畳山の真言宗・神王寺で行われた「御影供(みえいく)」にお参りした。連休の谷間のこの日は空模様が悪く、11時過ぎに古座駅に降りたところで激しく降り出した。これでは駅前のレンタサイクルも使えず、タクシーで広場まで行き、そこから寺に駆けあがった。

    ◇三周回って弘法大師像を拝む

 20人ほどの参拝者が来ていて、大芝英智住職の読経に聴き入っていた。正午ごろから年に一度の御本尊・弘法大師像の御開帳。参拝者は反時計回りに三周回って拝む。右に阿弥陀如来像、左に観音菩薩像があり、この像を合わせて拝む参拝者もいる。暗い堂内でろうそくに照らされた御本尊を回って拝むと、厳粛な気持ちになる。宗教行事としてはこれだけだが、神ノ川の裏千家の茶道師範の指導で住職の娘さんがお手前をしてくれるなど、温かい地域行事の雰囲気が感じられた。
古田、神ノ川、西向、古座、伊串の五地区で支えてきた神王寺の御影供。今日の参加者も大半は 各区長など重畳山霊地維持保存財団の役員だ。それでも古田から上がって来た70歳の女性は「働きに出ていた仕事が一段落したので、20年ぶりにお参りに来ました。古田の婦人会でついた餅を持って並べたりした昔と比べ今は寂しい気はしますが、それでもお参りすると気持ちがすっきりしますね」と話していた。

 区長さんらに尋ねると、確かに地域と重畳山との繋がりは薄れてきている。表参道の麓の古田でも、弘法大師が重畳山を開くときに泊まったと伝えられる旧家も去り、ミゴク田も埋められ、空海筆の銘がある棟札が残されていた六勝寺も無住になったという。漁船の位置を確かめる当て山としての役割も終えたためか、5地区を含め漁業者の参拝も見られなかった。西向の役員で大工の前田耕作さん(83)は「賑やかなことが少なかった昔は、御影供は楽しみでもあったのですが、今は他にいっぱいあるでしょうし…」と話す。

   ◇任意団体へ移行、新しい可能性を探る

 しかし、前田さんが言うように「校歌にうたわれてきたように重畳山は地元の誇り」 ということには変わりない。御影供の後で開かれた 財団の総会でも、財団の解散後も 重畳山霊地維持保存会といった任意団体を発足させる方針が承認された。

 大芝英智住職は他の勤めの間をぬって、 父の弘道師を受けて5度目の御影供を行った。「引き際を考えたこともありますが、できることをできるまでやっていきます。5地区の皆様に引き続き支えていただき、 新しい取り組みができればと考えています」 とあいさつした。

  御影供の日程の再検討、観光との連携などに加え、大芝さんが描いているのは時代に応えた寺のあり方だ。「東日本大震災の後で、普通の暮らしの価値が見直されてきていますが、薪を割って火をおこしてご飯を炊くと言った昔行ってきた日常的な作務をする場に寺がなればと思っています。各地区の経験豊かな方に協力いただき、重畳山で育つ木や草が暮らしの中でどう生かされてきたかを教えてもらうといった観察会も考えています」。檀家のない寺なので経済面など難しい面があるが、逆に熊野の山と海の自然を生かした開かれた寺となることが期待できる。

   ◇雨に煙る景色も良し重畳山

 本堂を出ると雨はまだ降り続いていたが、せっかくきたのだからと再び山頂に向かった。ツツジはもう終わりかと思っていたが、頂上までの最後の登り道の尾根にはモチツツジ、ヤマツツジだけでなくオンツツジの花も勢いよく開いていた。標高302mとはいえ頂上近くと神王寺ではは季節の歩みには差があるようだ。

 展望広場から海を見下ろすと、雨霧がかかって橋杭岩や、くしもと大橋は全く見えない。しかし、雨霧に煙ったような山並みや島は、快晴の眺望とは違った情緒がある。ツツジの花も雨に打たれ水滴をまとって鮮やかさを増すように見える。晴れの日も、雨の日も良し重畳山だ。                               (2013.4.30、文・写真 小泉 清)

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