宮山のコバノミツバツツジ 大阪府豊中市         

   
        
     
       コバノミツバツツジの赤紫の花。咲いた後に小さい3枚の葉が出てくる

・花期  4月上旬~中旬。宮山つつじ園はこの期間の10日間だけ開園(2013年は4月6日~15日の午前9時30分~午後4時)

・交通案内  
阪急豊中駅、北大阪急行千里中央駅、大阪モノレール柴原駅から阪急バスに乗り宮山バス停下車すぐ

電話 豊中市公園みどり推進課(06・6858・2353)、春日神社(06・6852・4735)

                        =2013年4月9日取材=
        
 箕面の山並みに向かって箕面街道を自転車で北へ進むと、住宅が立ち並んだ左手の丘陵地に緑に包まれた森が見えてくる。宮山の名の通り、この地に鎮座する春日神社の鎮守の森だ。神社前で自転車を下りて北側に沿った坂道をゆっくり上がれば、宮山つつじ園の入口がある。春日神社から豊中市が用地を購入して1986年に開園、地元の人たちでつくる宮山つつじ保存会などが管理、花見時の期間限定で無料公開している。

   地元の手で再び「山開き」の華やぎ  

 鎮守の森と隣り合わせの2600平方mの敷地で、10分あれば広場や遊歩道を1周できる小さな園。1500本ものコバノミツバツツジが繁り、赤紫の花で埋め尽くしている。花の咲いた後で小さい葉が3枚出て輪生するのでこの名があるが、すでに花が終わって出ている葉もあり、明るい緑葉の中で花がよく映える。

 西日本の山の明るい斜面によく自生し、3月末に六甲山に登った時にも、芦屋ロックガーデンの岩場でよく咲いていた。しかし、市街地のなかでこれだけまとまって見られるのは珍しい。入口すぐのテントで保存会の人たちが明るく迎えてくれたので、つつじ園の歩みについて尋ねた。

  ◇名高い名所、都市化で消滅の危機も

 今朝のメンバー6人のうち最年長は、昭和6年生まれの高瀬浩坦(ひろやす)さん(82)。4歳の時、桜井谷交番勤務となった警察官の父に連れられて以来近所に住んでいる。「今は住宅地となっている園北側の丘もコバノミツバツツジが広がり、一面がつつじ山でした」という。江戸時代に春日神社を整備した安部摂津守が「領民の楽しみに」と植えて広がった伝えられるツツジ。戦前の阪急電車の沿線ポスターを見た時、「萩の寺」とともに「宮山」が記載されていたが、メジャーな花どころだったこともうなづける。「近くには牛若丸が顔を映したと伝えられる池があり、石橋駅の名所案内板にも書かれていました。春日神社の前には松の幹の途中から桜の幹が伸び、『松桜』と呼ばれて多くの見物客が来ていました」。

 老人会の「日和会(にちわかい)」で受付に来ていた田中千鶴さん(73)は、昭和14年に生まれて以来この地の移り変わりを見てきた。「終戦直後の食糧難の時は、この林でドングリを拾い、小学校で集めて店がパンにしたものを食べていました」。大阪万博までは千里丘陵まで田畑や竹林が広がっていた。花やタケノコなどの評判が良く豊かな農家が多く、タケノコ掘りの時期には小学生の田中さんも親戚の農家に手伝いに行っていた。

 一番の思い出は4月18日の「山開き」。「この日は小学校も昼までで、家族揃って弁当を持ってツツジの花見に行きました」と田中さん。「青年会の人たちは、仕事を終えて夕方から加わる人もいて深夜まで盛り上がっていました」と高瀬さんは振り返る。

 しかし、時代の変化がツツジに影を落としてきた。戦争中や戦後の混乱でコバノミツバツツジが切られたうえ、ツツジ山の多くの部分が宅地に変わった。さらに、以前は枝木を薪炭に使ったり、落ち葉を堆肥にしたりすため農家の人が森に入っていたが、高度成長でこうした慣行がなくなったため、シイやナラなどの木が繁茂してきた。陽当たりが悪くなると、ツツジの成育も衰え、一時は40本ほどと消滅寸前になったという。

  ◇保存会と老人会で枝打ちや落ち葉清掃

 こうした事態に春日神社、地元の人々、豊中市が話し合い、鎮守の森の一部を豊中市が公園として買収し、地元住民が保存会をつくって管理することになった。6年前から宮山つつじ保存会会長を務める竹原修さん(71)は「新しいツツジの植栽や、日照を妨げないように他の樹種の枝打ちなど、手におえないこと以外のことは市に頼らずにやっています」と話す。8、9月には水やり当番を決め、週2回、3人が1時間半かけて水やり。月1回は枝打ちなどの力仕事をしている。朱色の花のヤマツツジも4、5本あり、タラノキ、アセビ、ネジキなどの樹木には名札をつけているのでわかりやすい。

 メンバーの中心は退職後の男性。金属加工業を営んでいた竹原さんは、大阪市から移って40年以上だが、仕事に追われていた時はつつじ園があることさえ知らなかった。知人のすすめでまず神社の「鎮守の森を守る会」に入り、保存会にも活動を広げた。「小学校の同級生にも声をかけて花見に来てもらっています」とPRにも熱が入る。

 園内の清掃は女性中心の老人会「日和会」が担当。「落ち葉をそのままにしていくと、土に養分が行き渡りすぎて、ツツジにはかえって良くないので、きっちり掃除しています」と田中さん。開放時には保存会と一緒に受付をする。「見に来てもらうだけで嬉しいので、初めてお目にかかる方でも来られた時と帰られる時の挨拶は欠かしません」。

 10時半ごろからは地域の一人暮らしの高齢者グループ「桜の会」のメンバーが集まり、花の下で弁当を広げながらおしゃべりを楽しんでいた。会長の伏田幸枝さん(90)は「終戦直後に嫁いできたころ、4月18日に花見に来ていたのが一番の思い出です。月2回地域の会館で集まっていますが、毎年この時期にツツジ園に来るのがみんなの楽しみですね」と話していた。来園者がツツジの枝にかけた短冊には「友と出会い 話がはずむ つつじ山  正子」とあった。

   ◇身近な自然が生きる鎮守の森

 つつじ園を出て再び春日神社に下りた。社殿前のソメイヨシノと枝垂れ桜は葉桜へとうつってきている。本殿の裏には山神社など六社があり、明治維新時の神仏分離を免れた薬師如来をまつる薬師社もあって地元の信仰を集めてきた。このあたりにもコバノミツバツツジも繁っていていて、花越しに東の千里中央方面の市街地が遠望できる。

 社殿前につつじの献木の呼びかけがしてあったので、社務所を訪ねると、渡邉正好宮司(69)が「鎮守の森にもツツジを取り戻そうと募っています。ツクバネガシなどツツジ以外にも貴重な樹種があり、森全体として大切に守っていきたいと思っています」。今でも「鎮守の森を守る会」が手入れを続け、ナラの原木を使って育てたシイタケを祭神に供えたり、参拝者に分けたりしているという。「杜の中で子供たちに自然の動きを教えてもらったり、木を生かしたものづくりにつながれば」と渡邉宮司は話している。
 
 伝説の池は埋められ、松桜はマツクイムシで枯れ、田畑も住宅や商店に変わった。しかし、箕面街道を渡って道を東に進むと立派な農家や寺が続き、豊かな近郊農村のイメージが浮かんでくる。春日神社のすぐ北側では大量の須惠器の詰まった6世紀の窯跡が見つかった。つつじ園と鎮守の森には、人々が営々と築いてきた丘陵と里の風景が受け継がれている。
                                   (文・写真  小泉 清)