厳冬の屋外で技量発揮した寒天出稼ぎ              
 青垣町東芦田で村おこしに早くから取り組んできた芦田晴美さん(80)は、冬場の寒天づくりの出稼ぎに行った最後の世代だ。製造に使った釜や箱を見せてもらいながら、厳冬期の深夜にも寝ずに取り組んだ若いころの体験をうかがった。

 昭和8年生まれの芦田さんは、高等小学校を卒業した15歳から山仕事に入った。特に、丸太を並べた木馬道(きんまみち)を使って山から切り出した木を麓に運び出す木馬曳きをした。5年ほどで木材の搬出法が木馬からケーブルに代ると、架線技師の資格を取ってケーブルで運び出した。

  ◇遠く岐阜に百日間、経験重ね上の職階へ

 「昔は丹波の冬はずっと厳しく、里でも雪が40cmほどはよく積もりました」と芦田さん。そのため、東芦田のほとんどの家が11月末から3月半ばまでの百日間は出稼ぎに行っていた。隣の西芦田では、灘の酒蔵へ杜氏として出ていたのに対し、東芦田では寒天づくりが普通だった。大阪府の能勢町、高槻市、船坂(西宮市)など関西の産地に行っていたが、岐阜県明智町(現・恵那市)が関西の産地で学んで寒天づくりを始めたことから、明智からも呼ばれるようになり、父の代からは行っていた。

 芦田さんは、始めの5年は関西の産地、後の5年は明智町に行った。寒天づくりは、工程に沿ってさまざまな作業に分かれ、経験や技量によって頭領を筆頭に職階があって、人によって仕事が決まっていた。

 まず原料のテングサを洗う「さらし」。船坂では大きな水車を使って洗っていた。そして、直径1・5m、深さ1・2mの鋳物の大釜を使って湯を沸かす。釜の上に桶を載せて吹きこぼれを防ぐので、容量はさらに大きい。「炊き子」がマキや柴を用意して、朝9時から夕方4時までかけて沸かす。沸騰すると、テングサを放り込んで煮立てるが、これは頭領の仕事。炊き方よって最終的に寒天の質が大きく変わる。つやがあって透明になるか、ぼけて黒ずんでしまうかすぐわかる。

 翌朝5時から、これを漉袋(こしぶくろ)に入れて絞り、28本分に切れ目を入れた木箱に移して固め、トコロテンの状態で「天出し」の場所に運ぶ。大がかりな作業なので、次の作業場は遠く、能勢では山道を上がる。箱の重さは40キロ以上、「始めたころは体ができてなくてひょろひょろだったので重く、肩に食い込んで辛かったです」と話していた。

 次の「天出し」は「筒引き」といって、トコロテンを筒から引き出して糸寒天や角寒天に形を整えるのだが、寒さの時期によって厚さを調節する必要がある。「五本引き、六本引きというふうに凍てが強い時期には厚く、凍てが少ないときは厚さを薄くするんです」。これを屋外のよしずの上に乗せて、凍らせるのだが、ここからが技量と勘が求められる難しい工程だ。「自然のままに凍らせると、寒天内に氷の玉ができ、ぶつぶつになってしまって製品になりません。それを防ぐには表面を氷で凍らせなければならず、ノコギリ鎌で氷を削ってふりかけていきました」「うまく凍らせるまでは深夜の1時になっても寝られず、正月も休みませんでした」と芦田さんは力を込めた。

  ◇テングサ煮た大釜を交流施設のサウナに活用

 産地で経験を重ねた芦田さんは、20代で頭領に次ぐ位の釜脇を務めるようになった。しかし、氷上町の製材所の専属請負となって冬場も仕事に行くようになると、出稼ぎに出られなくなり、また行く必要もなくなった。集落全体でも、勤めに出る人が多くなって東芦田からの寒天出稼ぎは終止符が打たれ、明智町の出稼ぎは新潟から行くようになった。さらに、厳冬期の寒さを生かして天然寒天から、季節にに限らず製造できる化学寒天が生産の主流になっていく。

 林業の不振が深刻となり、芦田さんは30代後半になって建築板金の技を習得し、兵庫県、京都府から奈良県と現場を77歳まで現場を回った。これまで携わった仕事を振り返り、「寒天出稼ぎの収入は良かったですが、きつくて楽しい思い出はありません」という芦田さんだが、数年前には、寒天づくりをやめた船坂から水車、大釜、箱を譲り受けて運んできた。若者が農業体験などを行う都市・農村交流の拠点施設「ごりんかん」に設置、大釜5基のうち一つは「五右衛門サウナ」に、一つは焼き肉の調理に再活用している。

 こうした道具を前に寒天づくりを語る時の芦田さんの表情は若者の頃に還ったかのようだ。「料理に使うのなら自然の中で作った寒天です。化学寒天とは比較になりません」という話には、力と知恵を傾けた寒天づくりへの誇りがうかがえた。
                                                  (文・写真  小泉 清)
 
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木馬、ケーブルで山出し 戦後の林業引っ張る (2018.11.27取材)

 寒天づくりの頭領の心得、後々まで生きる (2015.2.8取材

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