海岸の急崖にもたくましく              
   大塩の塩田跡からさらに西へ進み的形海水浴場へ。海水浴や潮干狩りの季節のにぎわいは消え、今は人も見えない。今は殺風景にも感じる浜だが、播磨灘の塩づくりは、奈良時代に行基が的形の浜で教えたのが始まりと地元では伝えられる。東隣の大塩にも広まって、江戸時代に赤穂で本格的な製塩が始まった時も、大塩と的形から指導に行ったともいう。昭和40年ごろに塩田も消え、西端はヨットハーバーになっている。江戸時代には九州や北陸と行きかう大船が出入りしていたそうで、繁栄の跡を留める旧家の家並みも残っている。
 
 そこから磯辺に迫る小山に上がる小道がついていて、地元グループが「行基の鼻」へ向かう案内板を建てていた。 「行基の鼻」とは何だろうと小道を進むとちょっとした岬の突端に着いた。後で聞いたところでは、行基が上陸したと伝えられる場所という。ここから海浜づたいに歩いて福泊に出られる。今はキャンプ場や釣り場のある海浜公園となっているが、かつては海上交通の要衝となっていた場所だ。

 大塩駅から2時間くらいで、高さ50mほどの流紋岩の海食崖が1キロ近く続く「小赤壁(しょうせきへき)」の東側入口の小赤壁公園に着いた。江戸時代の文人・頼山陽が月夜に舟で訪れ、中国・長江の赤壁に似ていると名づけた名勝。入り口付近の崖の岩場には、ノジギクが急傾斜の狭い場所にも生えており、たくましい姿を見せる。こうした岩場では、競合する種が少なく自生地がよく保たれているようだ。

   ◇小赤壁の波打ち際の遊歩道は閉ざされ

 十年前に訪れた時は、がけの下に磯伝いの遊歩道が続き、晩秋から初冬にかけてはノジギクに限らずツワブキなど断崖に咲く海岸性の植物を真下から見上げられた。しかし、今は少し歩くと「落石危険 立入禁止」の看板が掲げられたフェンスが張られ、先へ進めない。

 公園に戻り小屋裏の踏み跡を登ると、がけの裏手の竹林の中を小道が続き、木庭山という小山まで通じている。木庭神社のある木庭山あたりの陽だまりではノジギクが自生し、播磨灘を行く航跡が眺められる。ここから西へ海岸に下りるしっかりした道はあるが、ここも「立入禁止」となっている。紀州備長炭で知られるウバメガシの自然林が見られる山道も値打ちがあるが、やはり波打ち際の道が通れないと小赤壁の景観美も薄れてしまう。

 姫路市によると、2008年6月に西側の遊歩道に落石があったため地元と話し合って閉鎖、防ぎきれないので解除の予定はないという。以前はこのあたりで自然観察教室を続けていた家永さんは「植物だけでなく磯辺の動物も身近に観察できる貴重な自然海岸。場所ごとにきちんと安全を確かめたうえで、もう少し広い範囲に入れるようにして自然を学ぶ場として生かせないか」と話している。

 晩秋の早い夕暮れが迫る中、小赤壁の西側の木場の集落に下り、港町のたたずまいが残る川沿いの道を通って山陽電鉄八家駅に着いた。日笠山から小赤壁まで、結構長い道のりだったが、山、段々畑、塩田の水路、海岸の岩場と豊かな播州の風土に生きてきたノジギクの姿を見ることができた。
                                                          (文・写真  小泉 清)

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